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「音楽」とは、についての断片的かつ恣意的なメモ

「音楽」とはとどのつまり「一音一音に何らかの意味をあたえる行為」である。同じ打鍵であっても、意味がこもっていない場合、極端にいえばネコが鍵盤の上を歩いているのと一緒であろう論をふと思う。多分に、1.与えられる「意味」は連続する2音以上の相互関係によって(帰納的に)決定されるものである。2.「意味」は言語という論理を通じたものでなく自然とわきあがる演奏者の瞬時の直観である。3.しかしながら、個々の直観には、単なる演奏者の個人的経験を超越したある種の普遍性が存在し、それは「重力1」の地球上における物理法則と密接な関係がある(従って無調の音楽は人類が「月」にいくまでそれが「わからない」ことを何ら恥じる必要はなく、単なるインテリ=体制崩壊者の言葉のお遊びと理解しておけばよい)。以下は、「無調音楽」の例。しかし、一見「めちゃくちゃ」なこれらの音楽が、実はシューマンよりも、ブラームスよりもバッハに近い。バッハは「平均律概念」により調性音楽を確立したが、シェーンベルグもまた「12音音楽」理論(*1)により無調音楽を体系化した。この「体系化」という意味で、バッハとシェーンベルグはまさに表裏一体であり、共にピアノの確立者として歴史にその名をとどめている。もっとも、前述したとおり、バッハが「重力1」の音楽であるのに対し、シェーンベルグのそれは「重力0」と、まさに月と地球の距離ほどその感覚秩序はほど遠い。

ベルリン国立歌劇場来日公演のプロモーションビデオ。しかし、冒頭テロップの「この作品を日本で上演するというのは、私の義務である」というバレンボイムの意味不明な使命感はいったいなんなのか。よもや、「日ユ同祖論」(*2)を踏まえたものではあるまい。

(*1)重複しない12音を平等に使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。
(*2)「竹内文書」の『「イスキリス・クリスマス(イエス・キリストとされる)の遺言」という「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」で始まる文書がありそれによると十字架上で死なずに渡来(ゴルゴダの丘で処刑されたのは、弟のイスキリと記する)、1935年(昭和10年)8月初に竹内巨麿が青森県の戸来村(現在の新郷村)で発見した十来塚(竹内巨麿が村長に書くようにいった)が「イスキリス・クリスマス」の墓であるすなわちキリストの墓とし、モーセの十戒は実は表十戒、裏十戒であり、真十戒を天津教の神宝として天津教が所有し、天皇が、来日したモーセに授け、モーセの墓が石川県の宝達志水町に存在している。釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている。』


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