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【メンバー日記】ピアノの想い出


2017年10Aの初台での練習会に初めて参加しました。年齢の離れた若い方がほとんどで少々場違い感も否めませんでしたが、じきに打ち解け、思いの他、楽しい時間を過ごすことができました。ピアノとの係わり方も様々ですが、いずれの方も、ピアノを愛し、それぞれの形でのこだわりを持っている様が窺えました。何の参考にもならないとは思いながらも、この年齢になって、昔のことを少し話してみたくなりました。

私は、戦後すぐの昭和21年11月、大阪に生まれました。いわゆる団塊の世代は私よりも1年後から始まり、「三丁目の夕日」の鈴木一平君も1学年後輩に当たります。時代はまさしくあの映画のままで、世間一般が貧しく、ピアノがある家庭は珍しい存在でした。大阪ですから出前のきつねうどんをよく取りましたが、これが一杯30円だったと思います。当時の流行歌に「僕の月給、1万3千8百円・・・」というのがありました。デパートに並べられたメーカー名も分からない最安値のアップライトピアノが9万5千円でした。現在の物価が約20倍だとすれば、その高額さが想像していただけるでしょう。私の家庭は周りに較べて貧乏というわけでは決してなかったけれども、無論、ピアノを購入することなどあり得ませんでした。

そんななか、私が小学4年生のとき、母親が私をピアノ教室に入れました。9歳上の姉をさしおいて私だけにピアノを習わせた理由は分かりません。当時の小学校にもクラブ活動がありましたが、クラブに参加できるのは5年生以上です。ところがピアノが弾ける子供は特別に4年生でも器楽クラブに入ることができました。ピアノが弾けることは一種のエリート資格とみなされたわけで、それゆえに母親の見栄が働いたのかもしれません。


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