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日経NETの記事から

<吉松隆>第1回 マーラーの「交響曲第9番」

『夢みるクラシック 交響曲入門』(筑摩書房刊)

 聴き応えのある重厚さが魅力の交響曲。年末となればベートーベンの「第九」が風物詩となっている。『夢みるクラシック 交響曲入門』(筑摩書房刊)を書いた作曲家の吉松隆氏に、じっくりと聴き込んでみたい交響曲作品を教わった。

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 ほかの嗜好と同じく、音楽も年齢によって「心に響く」ものが変わってきます。私自身、30代ではモーツァルトやベートーべン、チャイコフスキーなど、テンポの比較的速い曲を好んでいましたが、40~50代ではマーラーやブルックナーなどの長大な交響曲や、ワーグナーの晩年のオペラなどへと嗜好が傾いてきました。若い時には分からなかった良さが理解できるようになりましたし、時間的な余裕もできて、より落ち着いて音楽を楽しめるようになったのです。
 『夢みるクラシック 交響曲入門』ではどちらかというと若い人向けの交響曲を紹介しているので、今回は熟年世代にもぜひ聴いてほしい「ちょっと通な」交響曲を紹介します。交響曲は4つ程度の楽章から成り立っており、1曲が1時間前後とかなり長いものですが、腰を据えて聴くと、その分、ズシンと感じるものがあると思うので、難しいことは考えず、まずはその響きに浸ってみてください。
 1曲目のお薦めはマーラーの「交響曲第9番ニ長調」。マーラーの後期の作品はこの第9番でピークを迎えます。退廃的な風情にあふれた美しい作品で、ゆっくりと始まり、ゆっくりと終わる。まるで人生を回想する壮大な走馬灯のような音楽です。
 この曲は例えば、CMに15秒ほど使うだけではその良さが分かりません。1時間以上かけて、最後まで聴き切ってこそ理解できる「巨大な山」のような存在感が魅力です。優れた長編小説と同じです。クラシックにはまっている人なら、この曲を聴けば、「ああ、これこそ人生だな」としみじみ浸ってしまうに違いありません。


「交響曲入門」の初っ端に「マーラーの第九」というのもいかにも吉松隆らしいが、著者の信念に基づいた「本物を紹介する」という彼なりの良心なのだろう。個人的経験とあわせても、高1の時にこの曲をはじめて知ったときは、「なにものかに足をふみいれた一歩」というある種自分の音楽体験にとってひとつのメルクマールだったのを思い出す。秋の夜長にぴったりだし、「巨大な山のような存在感」とはいいえて妙。若干つけたせば、山のような存在感とは、それに接するもの対し、もはや音楽作品が「私がそれをきく」という単なる対象物ではなく、逆にそれをきいている「私」が所詮山の一部に過ぎないと錯覚させるような圧倒的な存在感である。この作品が作曲されてからはや100年がたとうとするが、一世紀をへてようやく我々の感覚がマーラーの作曲当時のそれにおいついた感じがしないでもない。マーラーが演奏会で積極的にとりあげられるようになったのは、すくなくとも、1970年代以降である。従って、ひとつ前の世代はマーラー体験というのは完全に欠落しているはず(彼らにとってのクラシックとは、いわゆる「三大交響曲」、「新世界」「運命」「未完成」であり、マーラーには拒否反応があるのが通例であろう)。いまあらためてきくと、引き裂かれた意識と無意識の反目、ハプスブルク帝国末期の大いなる落日を感じさせるある種の虚無感といった「割り切れないなにか」をこの作品が多分に含んでいること、そしてそれこそマーラー作品の魅力であることに気付かされる。ここら辺りの感覚はその後の新古典主義の作品群(バルトーク、プロコフィエフ、ラヴェル、ストラヴィンスキー)とはあきらかに断絶があり、まさに最期のロマン派という趣き。生前のマーラーの言葉、「やがて私の時代がくる」が理解されるようになって、ようやくマーラーは「古典=クラシック」になった。前述どおり、それは決して遠い昔の話ではなく、ここ20-30年のつい最近の出来事である。

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