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【メンバー日記】ピアニストと翻訳家


メンバー日記

写真1の説明ピアニスト、のみならずクラシック音楽の演奏家は、基本的に人が作った曲を演奏します。
それも、バッハやベート-ヴェンやショパンなど作曲家の多くは故人ですから、曲が増えることは新たに発見でもされない限りありません。
限りある曲を数多くのピアニストたちが演奏することへの批判として、自分で作るわけでもなく先人の作ったものを弾いているだけだから楽だ、といったものがあります。
かつて学生のころ翻訳についてかじった際に、翻訳家は他人の書いた文章を自国の言葉に置き換えるだけだから簡単だ、と言う人がいると教授から聞いたことがあります。
それは「他人の作った曲をただ弾くだけの再現ピアニストへの批判」にも通じます。

写真2の説明ですがそんな人には声を大にして言いたい。
ただ音を出すだけならオルゴールで十分でしょう。(もちろんオルゴールにはオルゴールの良さがありますが)
音を出すのではなく「演奏」なのですから、機械ではなく人が心をこめることにこそ、意味があるのです。
翻訳も同じです。
翻訳とは単純に自国の言葉に置き換えるだけの作業ではありません。
ただそれだけでいいのなら、翻訳アプリを使えば済むことですよね。
それなのになぜ大変な思いをしてまで人の手で一言一句訳していくのでしょうか。
それぞれの国の言葉にはそれぞれの良さがあり、その良さを最大限に引き出すことは人間にしかできないからです。


読書家な猫「良さを引き出す」とは、まさにクラシック音楽を演奏する現代の演奏家たちと同じです。
クラシック音楽の演奏家はまず楽譜を読み込むところからスタートします。
作曲家の思いや伝えたいことを感じ取り、自らの感性に当てはめて演奏をします。
そこには感情だけでなく緻密な計算が隠されていることでしょう。
同じ楽譜を使っても、感情と計算との絶妙なバランスが演奏家によって異なることで、まったく違った印象を受けるのです。
一方の翻訳家もまず原書を読み解き、そこに描かれた本質を理解します。
そのうえで、作品を自国の言語に直した際にもっともふさわしいと思われる言葉を探していきます。
同じ意味を持つ言葉が複数あることはざらですから。
人気の本であれば複数の出版社から翻訳本がぞくぞくと出たりしますが、それらは同じソースを使っていてももはや同じ本とは呼べません。
翻訳家の選んだ言葉が人によって違うことで、翻訳家自身の個性も光るからです。
翻訳本とは翻訳家自らが作り上げた作品、といっても決して過言ではないでしょう。


写真4の説明例外はあれど、演奏家は作曲はしていませんし、翻訳家も小説を書いてはいません。
それでも音楽を表現することと翻訳をすることは、決して生易しいものとは言えないでしょう。
芸術とはゼロから生み出すものだけではありません。
すでにその場にあるものでも、先人が作り出したものでも、それらをいかにして輝かせるか、それが芸術なのです。

似顔絵MARI ピアノと本と猫が大好きです。



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