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【メンバー日記】ピアノを通して見える人間性


メンバー日記

グールドの1981年盤作曲家も演奏者もは自己中である。
私はそう思います。

万人受けする曲などあまり無くて、自分がただただ良いと思う曲を作り、それを上手いこと聞いた人や後世の人が解釈することで、名曲というものは生まれてくるんじゃ無いかなと思います。
例えばゴルドベルグ変奏曲。
近代の演奏といえば何よりグレン・グールドの1950年盤とと1981年盤。
どちらが好きかといえば好みは分かれるものの、多くの人がこの録音をあげると思います。
ただ、ゴルドベルグ変奏曲の原曲はチェンバロであり、近代ではランドフスカなどの演奏が名演と言われています。
それでも当時は革新的な演奏と言われていたこともあり、原初バッハが作った意図を汲み取った演奏はどれか、現在ではわからなくなっているように思います。

シューマン次にシューマン。

彼こそ自己中心的な作曲家だと、僕は思います。
例えばソナタ1番。この曲は当時駆け落ちしようとしたクララ・シューマンに献呈されています。
ただ聞いてみると甘美な曲というより、シューマンからクララに対する愛というか激情というか、そういったものを前面にぶちまけているように感じます。
確かにかっこいい曲だとは思いますが、当時クララはどう思ったんでしょうか?
普通に考えたら、そんなにぐいぐい来て、ドン引きしてもおかしく無いんじゃないか、というように感じます。
その他にも、クライスレリアーナはクライラー風に、と言いつつショパンに献呈したもののショパンには評価されていませんし、交響的練習曲だって、フリッケン男爵のメロディーを引用しつつ、全く別の曲にして独自で出版しています。

シューベルトシューベルトだってそうだと思います。
あれだけ多くの友達に囲まれ、毎回シューベルティアーゼだか何だか、いわゆるリア充な日々を過ごしていながら、書く曲は、特に晩年は、死への恐怖やら安寧やらが多いです。
確かにもの凄く美しい旋律や、今考えても革新的で整然とした作曲技法を使ってはいるものの、曲としてはやはり内向的です。
ソナタ21番なんて、大変な名曲だし、僕も大好きな曲ですが、自分しか見ていないような曲です。
他にも演奏機会の多いピアノ三重奏の2曲も孤独を歌い、冬の旅なんて病んでるように聞こえてきます。
解釈次第ではありますが、幸せな人生だったと思わせる曲って、そう多く無いかなと思います。

写真4の説明そんなことを言いつつ僕はクラシックを聞き続け、弾き続けています。
それは、作曲家のそういった人間らしさ、弱さをさらけ出している感じがたまらなく好きだからです。
音楽というのは、作る人はもちろん弾く人すらの人間性も露骨に出します。
それは魂を込めて作れば作るほど、弾き込めば弾き込むほど、その人の人間性が出てくるものだと思います。
だからピアノサークルなどで多くの人の演奏を聞くと、その人のピアノを通して多くの人間性を知ることができます。
話しただけではわからない、その人の深い深い部分というのが、演奏の中に現れてきます。
作曲家や演奏者の人間性を聞く、それがたまらなく好きだし、それが芸術だと思います。
もちろん自分の演奏がどう聞こえるのか、もの凄く恐ろしいことでもありますが、弾き込めば弾き込むほど自分の人間性が出て、それが人間らしさになり、自分の好きな演奏になってきます。
上手い下手では無く、最高に人間らしい演奏をしたいし、そういった演奏を聞きたい。
それが出来るのが趣味でピアノをやっている人たちだと思うので、ピアノサークルというのは、そういった意味で最高に面白い環境だと思っています。

作曲家の評価については諸説あるので、好きな方にとっては大変失礼なことを言っているかもしれませんが、

曲や演奏を通して人間性を見る、

そういった楽しみ方もあるんだな、と思います。

似顔絵K.Y.
イニシャルの通り空気の読めないピアノ弾き。
シュのつく作曲家が大好きで、現在はシューマンを練習中。
ピアノを弾くことも聞くことも大好きです。
いつか1曲でもいいから、完璧に弾きこなしたいと思って練習しています。

 


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