こんにちは!
皆さん,自分がピアノを始めたきっかけって,覚えていますか?
小さい頃に習い事として始めた人も多いと思いますが,大人になってピアノの魅力を知って始めた人も少なからずいることでしょう。きっかけになった曲や演奏がある…という人もいるのではないでしょうか。では,ピアノを好きになったのはいつでしょう? 習い続けていて,気づいたらいつのまにか好きになっていた…なんて人が多いのかもしれません。
ところで,僕は,100%ではないですが,ほぼ独習によりピアノの演奏技術と音楽に関する知識を習得していったのですが,それを人に話すと「なんでピアノ始めたの?」「どうやって弾けるようになったの?」などと,よく質問されます。特に,小さいころから教室に通って習っていたような人からすると,独学でのピアノの習得は極めて異質に思われるようで,興味を持たれることが多いように思います。
そこで,今回は,僕のピアノとの出会いと,それからどうやってピアノと音楽の世界にのめりこんでいったかについて,書きたいと思います。
1.身につかないレッスン~幼少期から小学生時代
正確に僕がピアノという楽器を認識したのは,幼稚園に入る少し前くらいだと思います。もはや記憶にはないのですが,同じマンションでピアノ教室をやっていた人のもとにしばらく通ったそうです。また,母親が「幼児教育にいいから」とモーツァルトのピアノ・ソナタのCDなんかを毎晩寝る前にかけており,小さい頃はその中の「トルコ行進曲」が大のお気に入りの曲でした。そこから,別の教室にも行ったりやめたりを何度か繰り返しながら,小学校中学年くらいまで途切れ途切れピアノを習うことになりました。
しかしここで,ピアノの習得上いくつか致命的な問題がありました。
まず,家にピアノが無く,キーボードのような電子ピアノしか無かったということです。
そのキーボードピアノは,平成に入ったばかりの当時としては良いものだったようですが,鍵盤の幅も数もピアノと違うし,第一タッチがキーボードそのもので,ピアノとはまるで異なるものでした。こんな鍵盤でピアノの練習するのは,プラスティックのおもちゃの刀で剣術の稽古をするようなものであり,上達すべくもありません。途切れながらも数年間という期間習っているのに一向に上達しない,それもそのはずなのですが,当時の先生には単に「センスの無い子だ」と思われていたに違いありません。
それから,第2に,両親が,音楽とピアノについてまるで何も知らなかったということです。もちろん,両親には音楽をやることに対しても色々と手厚く援助してくれたことを本当に感謝しています。しかし,自ら音楽をやることは全くなく,歌も歌わない。ピアノについての認識もカッコいいイメージは持っていたようですが,タッチの差による音色の違いなど知るはずもなく,「正しい鍵盤を叩けば正しい音が鳴る楽器」という程度のものであったと思います。だからこそ,ピアノをやるのにキーボードで十分と考えていたのでしょう。したがって,親から演奏上のアドバイスを受けるなんてことは全く無いばかりか,音楽の魅力や素晴らしさについて教えてもらうことすら全く期待できなかったわけです。
そんな中でも,最後に2年間程習った先生は非常に良い先生で,僕のそんな状況を見かねてゼロから基礎の基礎だけをみっちりやったあと(確かバーナムピアノテクニックの最初の本やバイエルの初歩的な曲),バッハのメヌエットをやり,そのあと当時流行っていたポケモンの主題歌「めざせポケモンマスター」の簡単なバージョンをやらせてくれました。この時は人気アニメの曲ができて,ピアノが少し楽しいと思えたのを覚えています。しかし,その後程なく,中学受験のために塾通いをすることが決まったこともあり,すぐに教室を辞めてしまいました。
ここまでの間は,一応「習っていた」と言える期間ではありますが,僕がまともに弾いたのは,バイエルの初歩の初歩,バッハのメヌエットと,上記のポケモンの初心者向けの編曲くらいでした。有名なハノンもツェルニーもその存在すら知らず(知ったのは高校生になってからです。)ピアノのペダルすらまともに踏んだことがなかったのですが,それでも,ここまでのレッスンで多少なり幼少期に指を動かしていたことと,楽譜が自分である程度読めるようになっていた(といっても音の位置と長さや指番号程度ですが。)というのは非常に大きいと思います。
2.覚醒 ~ベートーヴェンの「月光」ソナタ~
さて,時は流れ,私立の男子校に通うことになった中学1年生の終わりごろ,久しぶりに家のキーボードピアノを触ってみて,不思議ともう一度弾いてみようかなと思った僕は,小さい頃モーツァルトの「トルコ行進曲」が好きだったことを思い出し,楽譜を手に入れてひっそりと練習を始めました。今思えば当時の僕としては不思議な行動に感じますが,心の奥底ではピアノが好きだったのかもしれません。そして,なんとか譜読みして,数か月の奮闘の末にでたらめながらも通して弾くことができるようになりました。
そしてその後の中学2年の春,僕の人生を変える運命の出会いをすることになります。
新学期が始まり,クラス替えで新しく席が近くなった’’N君’’と仲良くなったのですが,彼がピアノを弾くということを知り,「どんな曲が弾けるの?僕もトルコ行進曲を弾けるよ!」などと話しかけたような気がします。しかし,その彼こそが,僕が今に至るまでピアノにのめりこむきっかけを作った人物であり,真の天才少年だったのです。
数日後のある日のこと。音楽の授業前,音楽室で,僕はN君に「何か弾いてみてよ!」と,頼みました。その音楽室には,生徒が自由に触ってよいボロボロのアップライトピアノがあったのです。すると,N君は「いいよ。」と,なんでもないといった感じでピアノの前に座ったのですが,そこで彼が最初に弾いたのがベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」の第3楽章でした。
この時の衝撃は,今でも忘れられません。
それまで僕は,ピアノ曲と言ったらせいぜいCDで聴いたことのある「トルコ行進曲」や「エリーゼのために」を知っているくらいで,本格的な本物のクラシックのピアノ演奏というものを目の前で聴いたことがありませんでした。しかし,その日のその瞬間,僕は初めて本格的なピアノ作品を目の当たりにしたのでした。嬰ハ短調の金属的な響きを伴いながら駆け上るアルペジオの緊張感と高揚感,そして力強いフォルテの和音の何と情熱的なこと!! 今まで聴いたことが無いような迫力のあるこの曲に,雷に打たれたような衝撃を受けたのですが,しかもそれが,さっきまで仲良く会話していた自分と同じ13歳の同級生が演奏しているという事実に,さらに衝撃を受けました。世の中にこんな凄い奴がいるのかと心底驚いたのは,言うまでもありません。
すぐに「今のは何!?なんて曲?」と訊くと,彼はなお平然とした雰囲気で「ベートーヴェンの月光だよ。」と答えました。その瞬間から,肖像画でしか知らなかったベートーヴェンがにわかに物凄い人物であると思えてきました。
そしてその日,家に帰ると両親にそのことを話し,「とにかくゲッコウが聴きたいんだ!」と訴えたような気がします。すると程なく,優しい母は図書館から1枚のCDを借りてきてくれました。それは巨匠ヴィルヘルム・バックハウスの演奏するベートーヴェンの3大ソナタ集で,「月光」とともに「悲愴」と「熱情」も収められていました。当時はもちろんインターネットなど使えず,音源はカセットテープかCDでしか聴くことができなかったわけですが,借りてきたこのCDを食い入るように聴きこんだのを覚えています。
それからというもの,音楽の授業の度に,始業前にN君に何か弾いてくれとせがみました。すると,彼は僕の期待に応えて色々な曲を弾いてくれたわけですが,先の月光に続いて弾いてくれたのは,ショパンの「木枯らし」とリストの「ラ・カンパネラ」でした。もちろんこの2曲にも,目を疑うような超絶技巧を目の当たりにして,衝撃を受けました。これらの曲の異次元の指の動きにひたすら驚嘆し,そしてピアノという楽器がこんな音を出すんだ,こんなにカッコイイ楽器なんだ!と興奮しました。他にもショパンエチュードやベートーヴェンのソナタ含めいろいろと弾いてくれましたが,特に印象に残ったのはこの2曲でした。
また,N君の演奏技術というのは,今考えてもプロ顔負けのものでした。少しの力みも無く不自然や無理もなく,鍵盤を縦横無尽に駆け巡る彼の手はそれ自体生き物のようであり,状態の悪いアップライトピアノでもショパンの3度のエチュード(Op.25-6)などの難曲を易々と弾きこなしていました。
そんな演奏に感動した僕は,程なく図書館からアシュケナージの弾くショパンエチュード集のCDを借りてきます。それまで音楽を自分から聴くという習慣がなかった自分にとって,この最初の2枚のCD,つまり,バックハウスのベートーヴェン3大ソナタ集とアシュケナージのショパンエチュード集は非常に思い入れのあるものとなりました。
さて,そんな体験をして完全にピアノの虜になってしまった僕は,自分でもどうしてもピアノが弾きたい!あの月光の第3楽章が弾けるようになりたい!という思いに駆られるのでした。そして楽譜を手に入れると,その強烈なモチベーションに突き動かされて,毎日キーボードに向かい,最初のアルペジオを来る日も来る日も練習することになります。
しかし,ここにきてようやく,「キーボードじゃダメだ!」ということに気付きます。どんなに鍵盤を叩いてもあの本物のピアノの豊かな響きにはならず,迫力のカケラもない貧弱な音しか出せないのです。そこで僕は,両親に相談したところ,幸いなことに僕の本気度が伝わったようで,当時最先端のYAMAHAのハンマーアクション入りのハイブリット電子ピアノ(DUP-20)を買ってもらいました。このピアノは音もタッチ感も本物のピアノに非常に近いもので,今なお実家で練習するときには愛用しています。これで練習環境が整ったわけですが,さらにその電子ピアノには50曲のデモ曲が収録されており,そのリストにあった「革命」や「幻想即興曲」なんかに夢中になりました。
またこの時,当時の僕にとってもう一つ,幸いなことがありました。それは,僕と同じようにN君の演奏に衝撃を受けてピアノを始めた仲の良いクラスメートが一人いたことです。Y君といいますが,彼も当時,「エリーゼのために」がようやく弾ける程度の男子中学生だったのですが,N君の演奏に触れてからというもの,がぜんピアノ熱に火が付きました。
そして,このY君と僕は,毎朝,始業より30分以上前に学校に到着し,誰もいない朝の音楽室へ向かうと,2人で練習に励むようになったのです。
月光の練習は,それまで見たこともない記号(ダブルシャープ)に戸惑ったり,楽譜の読み方がわからなかったり,ペダルの使いどころがわからなかったりと色々困難がありました。しかし,バックハウスの演奏を死ぬほど聴いたこともあり,必死の試行錯誤と練習の末に,中2の秋頃にはそれなりに通して弾けるようになったのでした。
3.ホップ・ステップ・ジャンプ! ~ラ・カンパネラ~
ここで,僕はレッスンに行かずに練習していたわけですが,その理由は,当時は週4日の合気道と剣術の部活にも全力で打ち込んでいたため,レッスンに通う体力的・時間的な余裕も無かったからだと思います。そして,とにかく自分でやるんだと息巻いて月光をなんとか形にしてしまった(今考えれば本当にでたらめな演奏ですが。)ことに変な自信をつけてしまい,結局レッスンに通わずその後も独習を続けようと考えたのでした。
さて,月光の第3楽章を制覇した(と自分で思っていた)僕は,第1第2楽章にも取り組みつつ,次はあの木枯らしとカンパネラだ!とまたも勇猛果敢に挑戦するのですが,流石に「木枯らし」には全く歯が立たず,これは到底無理だと挫折することになります。他方でカンパネラのほうはどういうわけか自分に合っていたらしく,段々と弾けるようになってきます。おそらく曲の情報量が少なくてある種機械的であることと,地道な基礎鍛錬による指の独立性を必要とする「滑らかで不規則な指の動き」があまり出てこなかったからだと思います。強引に跳躍とトリルとオクターブさえ乗り切ればなんとなく形になるもので,翌年の春頃にはわりと弾けていたと思います。
普通,トルコ行進曲→月光ソナタ→カンパネラという流れで1年足らずで学習することなどまず無いとは思いますが,強烈なモチベーションに支えられたすさまじい集中力に加え,音源を聴きこんだこと,またタッチに重みがありペダルもある良い電子ピアノを手に入れたことで,飛躍的に演奏技術の習得ができたのだと思います。
4.開かれた感受性の扉 ~ショパンのピアノ協奏曲第1番~
月光をレパートリーとして手に入れてからというもの,カンパネラ以外にも,ベートーヴェンのテンペストや熱情,ショパンの幻想即興曲など,カッコ良さそうな曲を手あたり次第に取り組み始めます。しかし,この時点での僕は,まだピアノの一面というか,ある種技巧的な部分と迫力ばかりに魅力を感じており,細かな音色や音量の変化やテンポの変化等による色彩豊かな感情表現ということについては全く無理解でした。おそらく,そのような観点で音楽を聴いていなかったためでしょう。月光の練習の際も,いかに音符を正確に叩くかという一種ゲームのような感覚を持っていました。
しかし,自分でピアノを弾くようになって1年以上が過ぎた頃から,感受性に徐々に変化が始まります。そして,中学3年生の夏休みにある曲を聴いて,人生で初めて音楽の叙情性に感動するという体験をしたのです。
それは,ショパンという作曲家に興味を持ち始めた頃でした。何となく図書館から借りてきた,サンソン・フランソワが演奏するショパンのピアノ協奏曲のCDだったのですが,第1番の第1楽章を冒頭から聴き始めると,なかなかピアノが出てこない。しかし,暫くするとオーケストラが静まり返り,「待たせたな!」とばかりにピアノでホ短調の和音が鮮烈に鳴り響き,続いてそのピアノが心を打つような旋律を切々と奏で始めました。これに心を鷲掴みにされた僕は,その後を聴き進めるにつれ,どこをとっても心をえぐるような情感を感じるようになり,気付くと目に涙を浮かべながら聴きいっていました。
それは,14歳~15歳という思春期の多感な時期の心に,その深い芯まで音楽が突き刺さるという体験だったのだと思います。その時の僕は,「音楽に感動するとはこういうことなのか…!」と,しみじみと感じるとともに,音楽の素晴らしさを身をもって知り,一気に世界が広がったような気がしました。
それからというもの,クラシック音楽,そしてピアノに対する熱は一層高まり,足繁く図書館に通いCDを借りては,じっくりと曲を聴きながら,そのCDの曲目解説のページを丹念に読み込むのでした。
5.広がるレパートリーと音楽体験
中学を卒業すると高校生活が始まります。N君はどうなったかというと,見事音高に進学を果たし,音楽の道へ進むことになります。また,一緒に練習したY君も,一時期別の高校へと行ってしまいました。
しかし,僕のピアノへの情熱は一向に冷めやりません。図書館からCDを借りてきては聞き入り,お小遣いを溜めてCDを買い,気になった曲の楽譜を手に入れ,ピアノに向かって奮闘する日々が続いていました。また,両親から「定期試験ごとに良い成績をとれば好きなクラシックのCDを1枚買ってもらう。」という約束を取り付けた僕の成績は,CD欲しさに必死で定期試験の勉強をした結果,メキメキと上がることになりました。
そしてこの頃,ルービンシュタインの弾くショパンの「英雄ポロネーズ」に衝撃を受け,すぐに憧れの曲になります。急いで全音ピアノピースを手に入れて楽譜を見て,あのオクターブの地獄に絶望するのですが,「必ず弾けるようになってやる!」という強い決意の下,半年かけて練習した結果,高校1年生の終わり頃にはある程度通して弾くことができるようになりました。この大曲を曲がりなりにも制覇した(と,当時は思っていた。)ことは僕にとって大変誇らしいことで,本当に嬉しく,毎日のように弾いていました。
そしてその後,ベートーヴェンやショパン・リストを中心に様々な曲にチャレンジしていくことになりました。
また,先述のショパンのピアノ協奏曲をきっかけに,高校生になったあたりからピアノ協奏曲も色々聴き始めました。モーツァルト,ベートーヴェン,シューマン,チャイコフスキー,ラフマニノフ,グリーグ等。そこから,段々オーケストラの曲にも興味が出てきて,交響曲やピアノ以外の協奏曲なども聴き始めるですが,中でもお気に入りの作曲家はチャイコフスキーでした。
そしてオーケストラの音楽に魅力を感じたのをきっかけに,後にヴィオラも始め,オーケストラに入団しました。ここでオケの色々な楽器や奏者と接するとともに,指揮者がどのように曲を作り上げていくのか,曲がどういう構成になっているのかを緻密に分析し理解することができ,クラシック音楽に対する理解が一段と深まりました。また何と言ってもオーケストラの響きの中にいて音楽に包まれるという体験は感動的で,得難い物でした。
このように,自分の体験する音楽の世界が広がることで,表現の細部までだんだんと聴こえるようになってきて,それがピアノの演奏にも生きてくることになりました。
そのような形で,様々な音楽体験を重ねながら高校大学と学生生活を送り,それ以降もピアノを楽しんで続けることができ,その間に少しずつ少しずつ演奏も良くなってきたのだと思います。
6.独学の是非
さて,このように,中学生以降わき目も振らずに独学ロードを歩んできたわけですが,今考える良かった点と悪かった点がそれぞれあります。
まず,良かった点についてですが,第1に,ピアノという楽器と音楽をストレスなく楽しめたことで,本当に心から好きになれたことです。とにかくこれは最も重要なことだと思います。
それから,第2に,成長期の最後の段階ギリギリで,難易度の高い曲を弾いたことで,ピアノを弾く指の神経がそれにある程度適応できたと考えられることです。中村紘子さんの本なんかにも書いてあった気がしますが,だいたい15歳を過ぎると高度なテクニックを身に着けるのが難しくなるそうです。これは,脳を含めた人体の成長と密接に関連する事実なのだと思いますが,この10代中盤の成長の最後の段階で,基礎もないのにいきなりカンパネラや英雄をやる等の身の程知らずな無茶をしながらも,テクニカルな曲に挑み続けた結果,指の運動神経上重要な礎をギリギリ作出することに成功したのだと,自分では思っています。これが,レッスンに通いながら呑気にバイエルの初級から再開していたならば,高い難易度の曲に挑戦する前に脳と指が成長しきってしまい,その結果,例えばリストのハンガリー狂詩曲なんかを弾くポテンシャルを身に着けることはなかったかもしれないと思うわけです。
そして,第3に,曲の表現,表情付けを自ら考える習慣がついたことです。もちろん,習ったほうがより適切な表現方法を身につけられるのでしょうが,他方で先生から言われるがままに弾く生徒になっていた可能性もあるわけです。自分で考えた自分らしい弾き方を誰に何を言われることもなく通せたというのは,独善的でありつつも,それなりにいい面もあったのかなと思っています。
それでは,悪かった点はというと,最大のポイントは譜読みの問題です。当初の僕のやり方は,片っ端から音符の並びを全部記憶し暗譜するというものでした。ここで「楽譜を見ながら弾く」という練習を全くやらなかったために,今でも楽譜を見ながら演奏するということに相当難があり,左右の手の二段を同時に見ながら弾くということがほぼできません。また,ツェルニーの曲などを1曲1曲譜読みしていれば,譜読みする能力も大いに向上したはずだと思います。今後の課題ですね。
それから,正しい姿勢,ペダリングや運指について,わりと遠回りして習得したような気がします。やっぱりある程度適切な方法というのが確立しているわけですから,それを習っているかどうかでは全然違うと思います。
7.おわりに
今回もまた長くなってしまいました。読んでいただいた方,ありがとうございました。
結局,音楽をやるモチベーションというのは,音楽に感動することによって得られるものであり,それは素晴らしい生演奏に接することが最良であるのだと思います。そういう意味で,サークルで色々な人の生演奏に接することができるというのは,非常にいいことだと思います。
そして,僕が同級生の素晴らしい演奏に感動したように,このサークル内でも,よく知っている仲のいい人が素晴らしい演奏をしていて心に響いたという人もいると思います。
願わくは,そのような響くな演奏がしたい。そして,自分の演奏にそのように心を動かされる人が一人でもいたなら,アマチュアピアノ弾きとしてこれ以上嬉しいことはありません。
さて,最後に,いつものように僕の大好きなリストの言葉を引用して,締めくくることにしましょう。
「卓越した技巧は,機械的な練習からではなく,精神から生まれるものである。」
-フランツ・リスト-
それでは。
S.T
ピアノ歴:~小4、中2〜現在(独学)
好きな作曲家:リスト,ショパン,チャイコフスキー
ピアノ以外の趣味・特技:立体回転パズル,魚料理,アウトドア
目隠しをしてルービックキューブを解くことができます。
ひとこと:酢豚にパイナップルはあり派です。