ピアノとは全く関係ないのですが、文化っぽいまともな話をしようと思います。
突然ですが、私は日本という国が結構好きです。その中でも「日本語」というものがとても好きです。単語の選び方1つで文の印象が変わったり、真面目な文章が一瞬でジョークになったりします。
「行間を読む」という言葉があるように、日本人というのは、書いてある言葉そのものだけでなく、筆者がどういうつもりで書いたのか、背景にどんなものがあるのか予想しようとする傾向があります(いわゆる、「ハイコンテキスト」というやつですね)。
そうやって読む人のことを考え、予想しながら、絶妙にTPOを弁えない発言をする…そう言ったヒヤヒヤする言葉遊び的なことが私は大好きです。
そういう訳で、日本語の作文というのは非常に面白くて頭の使い甲斐があるのですが、その中でも私が普段から気を使っている「一人称の使い方」についてペラペラと書いていきたいと思います。
さて、日本ではそこそこの規模の会社になると、新入社員研修なるものを行います。洗脳まがいの訳わからん研修を行う所も意外と結構あるらしいのですが(弊社は凄く緩かったですが)、おそらく誰もが、研修の最初らへんで、「フォーマルな場では”私“という表現を使え」と言われると思います。
このように、場によって一人称を使い分けるというのは日本ではある程度常識ではあります。しかし、普段の生活で意識して使い分けている方は、あまりいないのではないでしょうか?
…私は気持ち悪いくらいに気にしています。というか、使い分けて遊んでいます。私がよく使う一人称は「私」か「僕」ですが、これにはちゃんとした戦略があります。
男性だと「俺」という一人称も一般的ですが、「俺」というのは結構強い表現のように感じます。普段から「俺」を使ってしまうと、一人称で表現の差を出しにくいです。「朕」とか「俺様」とか言わないといけなくなります。そう、あのジャイアンみたいに。
その分、「僕」や「わたし」というのは中性的で、へり下りたければ「わたくし」と言えば良いし、偉そうにしたければ「俺」と言えば良い。かなり表現や雰囲気に幅が出ます。
ジャイアンが「ボクはジャイアン様だ」とか、ドラえもんが「俺、ドラえもんです」とか言ったらどう思いますか?めっちゃ面白いですよね。このように、一人称の使い方一つで笑いを生成することもできるのです。
…ちなみに、私が一人称の使い方を急にこだわり始めたのは、中2くらいの古文を習い始めた時期でした。中2というのは世の中で最も愚かな年齢として病気に認定されるくらい有名ですが、この選択については間違っていなかったように思います。中2らしくキザで気持ち悪いので、病気を罹っていたのは事実なのでしょうね。
他にも、方言を使ってみるとか(関西弁や京都弁はかなり破壊力があります)、尊敬語を間違えて使うとかいろいろ工夫のしどころがあります。文章を読む側の気持ちを考え、こちらが伝えたいことを相手に分かっていただくためには、標準語以外の表現が効果的である場合もあります。
っていう感じで偉そうに色々書きましたが、わたくし、国語はすごく苦手です。センター試験の総失点の6割が国語だったほどです。別に本をよく読むわけでもありません。何か、すみませんでした。
それでは、お疲れ様どすー