たまには日記でもと思いまして。
ピアノ演奏なんかについての、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくってみようと思います。
■ホロヴィッツと往年の演奏スタイル
なにせピアノサークルですから、多くのみなさんに、それぞれお気に入りのピアニストがいることだと思います。
現代のピアニストの演奏を鑑賞するのもよいですが、逆に「巨匠」と呼ばれる往年の演奏家の録音を聴くのも楽しいものです。バックハウスの温かくも質実剛健なベートーヴェンや、コルトーの歌心溢れるショパンなど、やはり魅力的です。
ところで、みなさんはヴラディーミル・ホロヴィッツをご存知でしょうか? 演奏をあまり聴かなくても、名前は耳にしたことがある人が多いと思います。
僕自身、「好きなピアニストは?」と訊かれたら、まずホロヴィッツの名を挙げます。どこがいいの?なんて訊かれた日には、軽く小一時間程語ってしまいそうです。
とにかく彼の演奏は、唯一無二。繊細極まる究極の美音のピアニシモから地鳴りや雷鳴を思わせるフォルテシモまでの幅広いデュナーミクと、求心力と緊張感で揺さぶられるようなアコーギクを自由自在に操るのが特徴です。88鍵を完全支配するパワーとテクニックを持ち合わせ、その技巧があふれる歌心やむき出しの感情と一体化して聴き手を感動させる、そんな演奏です。
一方で、「打鍵の正確性」や「ミスをしないこと」という点では、現代のピアニストに及ばない部分も大いにあります。が、それを差し置いて余りあるパッション。フレーズ1つ1つの細部にわたるまで、とにかく感情のボルテージが他のピアニストとは明らかにレベルが違うと感じています。
(余談ですが、七生のアンケートでは、好きなピアニストにホロヴィッツを挙げてくれた人が僕以外誰もいませんでした。寂しい。。)
20世紀の特に後半以降の時代は、録音とコンクールの時代で、楽譜通りの正確性が非常に重視されるようになったのだと思います。
他方で、それ以前の時代は音楽は1回きりの芸術。その場に賭けるパッションこそ重要だったのかもしれません。
そんな意味で、ホロヴィッツは、20世紀後半まで生きていましたが、スタイルは前時代的なピアニストだったのかなと思います。ホロヴィッツ自身、「むしろ多少のミスがあるようじゃなければダメだ」というようなことを言っていたそうです(正確な言い回しは覚えてないです。)。感情表現に振り切るためには多少のミスタッチは必然だという趣旨でしょう。
そのような、多少犠牲になる部分があっても、曲の持つ感情のエネルギーを最大限引き出すことに主眼を置いた演奏は、非常に個性が出やすい演奏だと思うわけで、そんな19世紀的演奏というか、往年の演奏にこそ魅力が詰まっているはず!
ショパンの孫弟子のコチャルスキや、リストの弟子のローゼンタールの演奏なんかも録音を少し聴いてみましたが、現代とは違う感じで、なかなか面白いです。
■手の形と脱力の話
上で書いたホロヴィッツですが、とても有名な特徴があります。それは、演奏する時に、基本的に手の指が伸びていること。
ピアノを習っていた方であれば、大抵「手は丸く、卵を握るような形に!」と教えられたはずで、僕も小学生時代にそのように指導を受けました。他方で、20世紀最大のピアニストがそれとは対極とも言えるフォームで演奏しているのです。どゆこと?って話ですよね。
「ホロヴィッツは特殊な天才だから真似すべきではない。」なーんて声にも十分頷けますが、聞くところによると、そもそも指を伸ばして弾く流派があるのだとか。
それがいわゆる「ロシアン奏法」などと言われるもので、動画で指を見てみると、確かに指が伸びている人もいる!(リシッツァとか!)
そもそもなんでこんなこと気になったかというと、僕がサークルの他のメンバーから、演奏の際の手フォームを「平たいね」とか「ロシアっぽい」って言われたことがきっかけです。自分では意識していなかったんですが、中学生でピアノを再開してからは独学だったために、以降誰にもフォームを強制されることなく自由に弾いてきた結果、自分の弾きやすい形になっていったのでしょう。
それで、「ピアノ演奏にとって理想的な手の形ってどんなんよ?」っていう疑問が出てきたわけで。
これに対する僕の考えとしては、「手の筋肉に最も緊張がない状態」だと思っています。
具体的に言うと、立った状態で、肩から下に力を全く入れずにだらんと垂らしたときにできる手の形が近い…のかな。そうだとすると、一般的なピアノ教育で言われる手の形よりは、少し指が伸びた感じになりそうです。
要するに、完全な脱力状態とは違う形を基本の姿勢とするならば、それは既に手や指の筋肉に緊張があるわけで、その状態だと常に負荷がかかった状態で演奏することになるわけで、適切ではないのかなと思います。
ピアノのレッスンでは「脱力!」と言われることが多いと想像しますが、そもそも脱力できてない手の形で演奏していてはよくない。
ところで、筋肉の緊張が無い状態がスピードと正確性を生むというのは合気道や剣術等にも共通するものです。また、同時に脱力はパワーを生みますね。パンチを打つのも当たるその瞬間まで脱力、剣でも切るその瞬間まで脱力することで、威力は激増するわけです。
ロシアンピアニズムの強烈なフォルテも、脱力したパンチや剣の斬撃に近いものを感じます。
その脱力ができなくて苦労してるのよ!って話なんですがね(笑)
あ、ここに書いたことは何の専門的な教育も受けていない素人の戯言です。ロシアン奏法なんてものが何なのか、全然わかっておりません!
なので、「僭越甚だしいぞ!!」というご指摘は…ごもっともでござる(笑)
■椅子の高さ
手の形もそうですが、椅子の高さもプロでも人それぞれで、気になります。
ホロヴィッツはやや低めですが、グールドみたいに極端に低い人もいますよね。果たしてあれは椅子なのか。逆にリヒテルなんかは背が高いのに高い椅子に座っていたようで。
フォルテを出しやすいのは体重をかけやすい高い椅子という人もいれば、低めでもガンガン弾く人もいますし…どっちが正しいの?
演奏会の本番などで、椅子の高さが合わなくて演奏が微妙になったことが何回もあり、いろいろ考えさせられます。椅子だけじゃなくてピアノの高さが違うこともありますよね。グランドピアノもストッパーを付けてる状態と外した状態で違ったりするし。
むしろ、「そんなん気にならんわ!」ってくらいの鈍感さを持ちたい。
そういう話です(笑) ←テキトーにまとめた感
■ステージでの立ち振る舞い
僕は普段はわりと外見に無頓着なのですが、演奏会の本番はカッコよく決めたい!と思っています。
まあ適当にスーツを着て蝶ネクタイしておけば演奏会っぽいし形はOKと思っているのですが(女性は大変ですね。)、やっぱり立ち振る舞いも重要ですよね。緊張していると自然な動作が逆に不自然になってしまったり。でも、ここがバッチリ決まっていると、お客さん側も好印象を持った上で安心して音楽に集中できるわけで。
今年のPH会の演奏会(ニューイヤーコンサート)で、立ち振る舞いが一段と素敵な方がいて、「やっぱりいいな!」と思いました。
ということで、僕がいつも演奏会で心掛けていることや、これから心掛けようと思っていること等を書いてみます。
① のろのろ歩かない
舞台に出ていくとき、舞台から袖に戻るときはなるべく颯爽としていたほうが観ている側も気持ちよいはず!と思っています。
② 常に姿勢良く
意識しすぎると変な感じになりそうで難しいですが、背筋を伸ばして、でも固くなりすぎないのがよいのかなと。
③ おじぎは綺麗に
おじぎが綺麗な人いいですよね! 色々スタイルはあると思いますが、脚は閉じたほうがいいと思います! かかとをつける!
動画を振り返ったところ、自分は手を後ろで組む変な癖があるようで、あんまりよくないなと思いました(笑)
それから、ピアニストがやるような、片手をピアノの上に乗せてやるやつ、やりたいけどイキってると思われるのが嫌なのでやってません(笑)
④ 演奏後は笑顔
笑顔でいれば基本許されるはず(笑) 意外と最重要かもしれません。
その他、楽譜を使って演奏した際には、楽譜の回収よりも先にお客さんにおじぎをしたほうがいいのかなと思っています。聴いている側に拍手のタイミングを待たせて微妙な空気になるのを避けるためです。
こんなところかな。
みなさんがステージで何か心掛けていることがあれば、教えてください!
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S.T.
好きなピアニスト:ヴラディーミル・ホロヴィッツ
ピアノ以外の趣味・特技:ルービックキューブ
ひとこと:おにぎりの具はおかか派です。