皆さんはミルクティーを作るときに紅茶にミルクを注ぎますか。それともミルクに紅茶を注ぎますか。
昔々、イギリスのお茶会でのお話。
某夫人が「紅茶にミルクを入れたミルクティ」か「ミルクに紅茶を入れたミルクティ」か、味の違いでわかる、と言ったそうです。
その場にいた男の一人がその婦人の主張に興味をもって「その言葉が本当かどうか、検証してみようじゃないか」と提案したそうです。
その男の名はロナルド・フィッシャーといい、後に統計学の世界で押しも押されぬ第一人者となります。
(ピアノや音楽の世界でいうところのバッハ的な存在)
はたしてこの婦人の主張が真実であるか、あるいはただの思い込みであるかを合理的に示すことはできるのでしょうか。
色々な方法が考えられそうですが、この時フィッシャーは、
①同量の紅茶とミルクをそれぞれ別の方法で5杯ずつブレンドして計10杯のミルクティーを用意する。
②これを夫人にテイスティングしてもらい正答率を評価する
という方法を採ったそうです。
仮に全部あて推量で答えても5杯くらいは当たりそうですが、この婦人の主張が本当に正しければ正答率は50%よりは高い値となるでしょう。そしてその結果が単なる偶然で説明するにはあまりにも稀なことであれば夫人の言っていることは正しいと判断するのが妥当だと考えたのです。
ともすれば「わかる/わかるはずがない」の水掛け論になってしまいそうなことでも統計学の手法で客観的に説明できるという逸話でした。
ところで、ピアノのレッスンで「心を込めて弾きましょう」とか、あるいはもっと具体的に「ギロチン台に上っていくかのような感情を込めて」「遠くでなっている鐘の音のイメージで」などのように指導されることがあります。または「太ったおじさんがパイプ椅子に座ったかのような音でしたよ。もっと丁寧かつシャープな音で!」などと言われることもあります。
皆さまの中には演奏の際に「具体的な光景やイメージを頭に思い浮かべる」ということを実践したことのある方もいらっしゃることと思います。ではこうした取り組みは演奏にどれほどの影響を与えるのでしょうか。そして聴き手への伝わり方に関してどのような効果があるのでしょうか。
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以前会のメンバーの方と曲の解釈の話になり、自分なりの考えを述べたことがあります。
その方は感心しながらも「そこまでのことをピアノの音で人に伝えられるものだろうか」と仰っていました。
多くのことは伝わらない前提とすれば曲に何らかの解釈を与えイメージをもって演奏することになんの意味があろうか、という意図だったのかもしれません。
音から何らかのイメージを受けることに関しては多くの人に共感して頂けるのではないかと思います。ですが「ギロチン台に上っていくかのような感情」をダイレクトに伝えられるかというと、それはちょっと難しいように感じます。映像とは異なり音には誰もが経験したことのない印象を与えるだけの力はないでしょう。しかし全く何のイメージもなく弾いた時と比べればよりドラマチックに、なんらかの効果を伴って響いているのでは?という気もします。
フィッシャーであれば「20人ほど被検者を募って、各々にイメージをもって弾かれた演奏と特にイメージなく弾かれた演奏を5回ずつ聴いて判定してもらい正答率を評価してみよう」と持ちかけてくるかもしれません(あまりに無粋でロマンのない話ですが)。
音というのは実に不思議なものです。様々な印象を聴いている人に与え、それは時には色彩や温度感であったり、何らかの映像やシーンのようなものであったり、あるいはもっと抽象的なポジティブ/ネガティブな概念的な感覚であったり多様です。これらは当然聴き手によって同一ではなく、ばらつきがあるものです。
同じ音楽を聴いても人によって印象や感想が異なるのは、聴き手の個々の経験や性格などにより形成される感性に基づいて印象を再構成しているからなのかなと思います。こうしたものは万人に共通する客観的な尺度で計ることはできませんし、まして命題としての真偽を与えるべきものではありません。ただ、聴き手なりの何かは確かに受け取っているということは言えると思うのです。
凄腕の演奏者は見事なまでに曲の世界観を作り上げ音によって聴き手に訴えかけてきます。これは素晴らしいことだと思いますが、さりとてその世界を必ずしも演奏者の意図に従い額面通りに受け取る必要もありますまい。誰に命じられることもなく、奏でられては消えていく音達をその瞬間自由に楽しめるのが音楽の良さではないでしょうか。
昨年の演奏会で自分の表現したいことを演奏直前に述べる取り組みがありましたが、その時に素敵な言葉を仰った方がいました。
「私の表現したいこと、それは、皆さんが演奏を聴いて感じて頂いたことがそのまま私の表現したいことです」
という趣旨であったと記憶していますが、本当に慎み深く魅力的な言葉だと思います。私は演奏からその方が如何にその曲を愛し大切にしているかを感じ、ひそかに涙しました。
畢竟、演奏者は自分の表現に最大限の効果を与えるイメージをもって演奏に臨み、聴き手は自由に思いを巡らせてその演奏を楽しめばよいのだと思います。
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さて、演奏会と言えばいよいよ秋の演奏会が間近となりました。
次回の9月の定例会に参加させて頂く予定ですが、演奏会を控え名演好演多数の予感!今から楽しみです。
知らない曲との出会いや自分の演奏に際して曲に向き合うヒントを頂けることなど、練習会に参加する楽しみは語りつくせません。ご準備頂いている幹事の皆さまには平素より本当に感謝しております。
ミルクティの話ですが、その場に同席していた人によれば婦人はすべてを正確に言い当て、当然のことであるかのように平然としていたのだとか。これにはさしものフィッシャーも閉口したことでしょう。
恐るべしは英国夫人の紅茶愛ですね。