小さい頃、実家のヤマハのアップライトピアノで三姉妹がピアノの練習をしていた頃の話です。
■登場人物
長女:少し神経質な完璧主義者。物事の進め方が計画的、完璧すぎてサイボーグなんじゃないかしら。
次女:パワー系の猪突猛進タイプ。ぼーっとしていると突き飛ばされるか、一緒に振り回される。
三女:わたし。長女と次女にエネルギーを吸い取られて、いつも寝ているか寝たふりをしていた。
〇普段のピアノ練習
一人一日30分以上のピアノ練習がタスクでした。
長女は学校から帰ると息つく間もなくピアノの練習を開始します。ハノンやツェルニーなど基礎練習もしっかり重視、間違えた箇所は繰り返し練習。練習姿勢から模範的すぎて、いつも見て見ぬふりをしたかった。
長女の練習が終わると次女の番。何事も「気合と根性!」で乗り切るタイプなので、練習もパワー系。今はそんなことないけれど、小さい頃は性格も激しく、対人関係は大丈夫なのかな、と妹の私が心配になるほどでしたが、ピアノ演奏に関しては激しい性格が表現力にプラスに働くのか、三姉妹では一番ピアノが上手でした。
姉二人の練習が終わったら、寝たふりをしていても、もう逃げられない。私の練習の番です。ピアノ練習30分のタスクをいかに短くするか、ということで頭がいっぱいで、できる限りゆっくり楽譜を広げて、椅子の高さの調節をしてゆっくりゆっくり動いていました。夕飯までの時間が30分より短ければ、それで練習は切り上がるので、母のキッチンの様子を横目に見つつ、なんとなく練習をしていました。
〇レッスンで習う曲
3人が同じ楽譜を使いまわしていたので、私が弾く曲はたいていお姉さん達がすでに弾いた曲でした。時々、お姉さん達も弾いた形跡がない曲が弾けると、私だけの曲のような気がして嬉しくなりました。チャイコフスキーが意外と穴場でした。
ドビュッシーは人気で、だいたいの有名な曲は長女か次女のどちらかがすでに弾いてしまっていました。ドビュッシーは私も好きで何曲も弾いたのに、ドビュッシーを弾くことが、結局はお姉さん達の二番煎じのようになってしまうのがなんとなく悔しくて、大人になってピアノを再開して、二人とも手をつけていないドビュッシーの曲を弾き始めました。
〇発表会当日朝
発表会当日の朝は三姉妹による熾烈なピアノ争奪戦があります。
長女は余裕を持った時間から練習を開始して良いタイミングで練習を切り上げるので問題ないものの、困ったのは次女と三女。
次女は一回でも直前練習でミスをすると気性を荒げて、もっとミスを連発する始末。全然練習を切り上げてくれない。遅く起きた私も、家を出る前に少しはピアノに触りたいのに、次女の荒れ狂ったオーラに負けてピアノを練習したいと言い出せず、結局一人でしくしく泣く。普段まともに練習しないくせにこういう時だけ。
次女は荒れてるし、三女は泣いてるし、お母さん大変。長女がしっかり者なだけよかった。
〇発表会本番
朝から戦闘を繰り広げてきた我々も、曲がりなりにもピアノの発表会に出る立場、会場についたら良い子にします。
ピアノの発表会って、一年に一回顔を合わせるだけの、同じくらいの年の子たちがたくさんいて、人見知りの私には結構苦しい場所でしたが、本番前にはお姉さん達が応援してくれたし、本番後にはどんな演奏だったとしても二人が褒めてくれたのでなんだかんだ発表会は好きでした。
普段から一緒に練習をしている戦友から褒められると、お世辞ではなくて、本当に認めてもらえた気がして嬉しいんです。
〇十八番
本人たちがどう思っているかは分かりませんが、私が勝手にそれぞれの十八番だと思っている曲は、長女はドビュッシーの「ピアノのために」トッカータ、次女はラヴェルの水の戯れです。今は二人とも弾けないだろうけれど。
この2曲は二人が弾いているのを聴いて憧れて、私もいつか弾きたいと昔は思っていました。
ただ、今は、私が弾いたところで二人の演奏を越えられない(越える必要はもちろんないけれど)という感情と、今は二人ともピアノから離れてしまっているため、私が弾くことが過去の二人の演奏を踏みにじるような行為になるような気がして気がひけてしまい、この2曲は弾けません。
長女も次女も高校2年生まで一緒にピアノを習っていました。私は中学3年生でピアノを一度辞めましたが、多分高校生になったら再開するんだろうな、と勝手に思っていました。ただ、一緒に習うお姉さん達は高校卒業後に家をでて遠くに行ってしまって、ピアノを弾く積極的な理由も自分自身の中に見つけられず、結局私が高校生になってピアノを再開することはありませんでした。
無性にピアノが弾きたくなって、自分の意志でピアノを再開したのは、それから8年後のことでした。
F.I.
ピアノ歴:5歳~中学3年、社会人になって4年。
好きな作曲家:ドビュッシー、プーランクなどフランス近代。