大変遅ればせながら、、、定期演奏会実行委員及びPH会運営メンバーの皆様、本当にお疲れ様でした。一演奏者として演奏の機会を与えて頂けたこと、心より御礼申し上げます。
自分にとっては大変にメモリアルな出来事だったので記念にちょっとした手記を残そうと思います。
『私の表現したいこと』と銘打たれた今回の演奏会において、自分が演奏を通じて表現したかったことは壇上で申し上げた通り自分の「人生の肯定」でした。ただ本番で緊張していたこともあり、時間の制約もありで、言葉が足りない部分もありました。
今回私が演奏した舟歌はショパンの晩年の作品で、最大の作品であるソナタ三番を完成させた後の時期に作曲されたと言われています。恋人との関係もこじれ始め体調も思わしくなく、いわば翳りを見せ始めた時期だったのかもしれません。しかしそうした暗い影を曲中に見出すことは殆どなく、同時期に作曲された幻想ポロネーズとは対照的に流麗で穏やかな内容となっています。
この曲に出会ったのは10代の後半の頃で、当時はなんとのんびりした退屈な曲だろうと感じたものですが、いつの頃からかこの曲に強烈に惹きつけられるようになりました。作曲家ショパンはどう言う気持ちでこの曲を書いたのだろうか。一人の生きた人間として。そこに興味ををもったのがきっかけだったと思います。
この曲は人によって解釈が様々で、恋の思い出をもとに作曲したという解釈、題名通りにベネツィアのゴンドラ乗りの唄を表現したという解釈や、ドライな人ではソナタ三番で使わなかったモチーフを利用して作り上げたという説(?)も聞いたことがあります。
でもやはり、この曲はショパンの輝かしい作曲家人生の物語だと私は思っています。
12/8拍子の息の長いフレーズで朗々と歌い上げているのはゴンドラ乗りの姿をしたショパンなのではないか。
曲の終盤で最大の盛り上がりをみせたのち、終結部に入りますがここでは重音fisのバスに乗せて第2主題を回想します。まるで目覚めた人がおぼろげな夢の内容を探るかのように口ずさむこの部分では一部、狂おしく身悶えするような和音が現れます。唯一こここそが現実(=作曲時点)の眉をひそめ口をしかめたショパンが姿を現すポイントのような気がします。そして最後に右手のleggieroに合わせて左手が歌う部分は「色々あったけどこれで良かったんだ」という肯定を思わせます。
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私は悪性腫瘍の治療を専門とする医師を生業としています。仕事柄、人の死と常に触れ合わなければならず、これまでも、そしてこれからも多くの患者達との別れを経験するのだと思います。
私達は生きていますが、いつか必ず死ぬ日がきます。自明の理なのですが、なかなか実感は伴いません。喩えるならば目には見えない砂時計のようなものがあって、それがさらさらと時を刻んでいる状態。でも目には見えないから実感はない。しかし悪性腫瘍を患った患者はある日それが突然目に見えるようになる。私が相手にしているのはそういう人々です。
死の恐怖や身体的苦痛、不安、凡そ考え得る全ての負の感情を投げ掛けられ、それを受け止めなければならないのですが、時に強烈に心に残る言葉を頂けることがあります。それは若かりし日の栄光の足跡であったり、遠い昔の僅かな過ちを悔いたり、大切な人々への感謝であったり。様々ではありますがそうした言葉はとても澄みきっており、美しく、心を震わせられます。
ショパンの舟歌はそういった類の、この世のものとは思えない美しさを秘めているように思われるのです。
そして私自身も一人の人間として挫折や後悔、苦悩を味わいながら、それでも生きており、これで良かったんだという思いを込めてこの曲を弾きました。ミスもあり、まだまだ表現力が伴わない部分も多かったですが、今の自分なりに精一杯弾けました。