はじめまして、S.Hです。全国に広がるストリートピアノ文化。その「はじまりの場所」とも言われる鹿児島を訪れました。ピアノと人との出会いを巡る、小さな旅の記録です。少し長文になりますが、よろしければお読みいただけたら嬉しいです。
✈️ 鹿児島空港のストリートピアノ
空港に到着してまず向かったのは、国内線ターミナル3階・展望デッキ入口のそば。ポールで囲まれたアップライトピアノが静かに置かれていました。
「本当に弾いても大丈夫かな…?」と一瞬ためらいましたが、案内所の方が「どうぞ演奏なさってください」と、声をかけてくださいました。(あとから知ったのですが、現在は許可不要で自由に弾けるそうです)
ポールを外し、鍵盤にそっと手を置いて、クーラウのソナチネ、モーツァルトのソナタ、ショパンの幻想即興曲などを、思い出しながら弾いてみました。
演奏を終えたあと、小学生くらいの女の子が「エリーゼのために」を演奏し始めました。そばで見守っていたご家族の微笑ましい様子が、心に残りました。空港という「通り過ぎていく場所」の一角に、ふっと音がとどまり、ひとときだけ流れるような時間。旅の始まりに、静かな余韻をくれるピアノでした。
■一番街商店街 日本初のストリートピアノ
鹿児島中央駅からほど近く、アーケードが連なる一番街商店街。その一角にあるストリートピアノは、2011年2月、九州新幹線の開業を前に「日本で初めて公に設置されたストリートピアノ」として知られています。
「ラッキーピアノ」と呼ばれ、地元の専門学校の学生たちが彩色を施した初代ピアノは、2025年3月に引退。訪れたときは、2代目のピアノが新たに迎え入れられて間もない頃でした。このピアノは、復興イベントにも使われており、2025年3月11日には「ストリートピアノでつなぐ祈りのハーモニー」が開催されました。
※この様子はFNNプライムオンラインなどでも紹介されていました
ピアノを弾いていたのは、ゆっくりと音を奏でる女性。あとで気づいたのですが、彼女は視覚に障がいのある方のようでした。鍵盤を確かめながら弾く姿から、ピアノという楽器が、どれほど多くの人に開かれた存在であるかをあらためて感じました。その後、自分も何曲か演奏。弾くのを待っていたジャージ姿の女子生徒がインストゥルメンタル風のポップなメロディーをさらりと披露。その後、中高生ぐらいの男の子3人組が登場。
ブルグミュラーや久石譲の曲を交代で演奏し、ブルグミュラーの楽譜を持っていた男の子が「全部弾いたんですか?」と話してくれたのも、印象に残っています。音があるだけで、人と人の間に自然なやりとりが生まれる、このピアノには、そんな力がある気がしました。
■鹿児島中央駅 楽器店のストリートピアノ
駅直結の楽器店にも、春休みに合わせた期間限定のピアノが設置されていました。
エスカレーター横のスペースに置かれたそのピアノは、屋外とはまた違う空気の中にありました。音が響きすぎないように気をつけながら、ブルグミュラー、クーラウのソナチネ、モーツァルトのトルコ行進曲などを演奏。演奏を終えると、隣に座っていた女性たちがそっと拍手をくださいました。静かであたたかな瞬間がそこにありました。
■鹿屋市 リナシティかのやのストリートピアノ、知覧 特攻隊員が弾いたピアノ
旅の終盤、鹿児島県鹿屋市にある複合交流施設「リナシティかのや」へ。
建物と建物の間に広がるガレリアのスペースに、1台のアップライトピアノが設置されています。
ストリートピアノの発祥は2008年、イギリス・バーミンガムで始まった取り組みだそうです。ピアノのそばにも「使われなくなったピアノを街角へ」という看板がありその想いが受け継がれているようでした。地元高校生によるペイントが施されたそのピアノは、街角に置かれていながら、どこかやさしい温もりをまとっているようでした。
ここでも、復興への祈りが静かに重ねられていました。2025年3月11日には「ストリートピアノでつなぐ祈りのハーモニー」が行われ、14時46分にはサイレンとともに黙祷、松下保育園の園児たちによる合唱、そして阪神・能登への祈りも込められた時間となりました。
夕方、人通りのない静かな時間帯に少しだけピアノを弾いてみました。
そのときふと思い出されたのは、以前訪れた知覧特攻平和会館に展示されていた、日本に数台しかないとされるドイツ・フッペル社製のグランドピアノ。
出撃前夜、ある特攻隊員が「月光ソナタ」を弾いたと伝えられているそのピアノは、展示されていただけでしたが、前に立ったときの静かな重みが、ここで音を出している指先の感覚と少し重なった気がしました。
■鹿児島といえば、「しろくま」
食べたかった、鹿児島名物「しろくま」。
想像していたのよりずっと大きく器いっぱいのふわふわの氷に、練乳と色とりどりのフルーツ。その見た目だけでも、どこか心がほぐれていくようでした。
口に運ぶと、やさしい甘さとひんやりした涼しさが広がって、旅の中で出会った音や風景が、すっと整っていくような感覚がありました。
今回出会ったピアノは、どれも特別な舞台にあったわけではありませんでした。空港の片隅に、商店街の一角に、楽器店の店先に、街の中庭に。それでも、ピアノがそこにあることで、人が足を止め、音に耳を傾け、誰かの演奏に、静かに拍手を送る。ただそれだけのことが、なぜだか心に残っていました。音楽が、誰かとすれ違うきっかけになる、そんな瞬間が街の中にあることを感じた旅でした。またどこかで、ピアノの音に導かれる時間に出会えたらと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。