僕にとって今年は30歳になる節目の年であり、何かにつけて「20代ラスト」だの「30代初めての○○」だのと、自分の年齢に絡めた日記を書いてきましたが、今日の【30年日記】は父親の話になります。
先週金曜日、父親は職場で勤続30年の表彰式とパーティーに参加し、家に表彰状と旅行券10万円分を持ち帰ってきました。
僕もなんとか浪人・留年もなく、大卒ストレートで就職し、転職せず勤続8年目の後半戦に差し掛かっていますが、父親の30年…それどころか産まれてからの苦労には足元にも及びません。
僕の父親は、産まれて間もなく実の母親から切り離され、養子として育ち、本当の親の顔も知らないまま、厳しい家庭で育ったそうです。
時々暴力的な扱いも受けたそうで、定年近い今でも、父は育ての親に対して良い印象は持っていません。
成長の過程で触れてきた環境によって人格はそれなりに影響されると思うので、散々酷い目にあわされ続けた父親も歪んでしまってもおかしくないと思うのですが、、、
僕の母と結婚し、産まれてきた僕たち兄妹を育てる上で一番に思ったことは【絶対に自分のような辛い目にはあわせず、幸せに育てたい】だったそうです。
結果、決してホワイトではない職場で、時には長期休業を取得せざるを得ないぐらい心身ともに追い込まれながらも、30年間仕事をやり通し、家庭を支えてくれました。
仕事だけではなく、深い愛情も注いでくれました。
僕たちが小さかった頃は、毎月キャンプに出掛けたり、泊まりがけの家族旅行もたくさん連れていってもらい、家族サービスもたくさんしてくれました。
今でもその想い出の数々を、いくつも脳内再生できるぐらい充実した幼少期を過ごさせてもらえました。
僕が9歳ぐらいだった頃、父親の本当の母が病気で亡くなったと知らせが入りました。
【本当のお母さんが死んだ。】その時の父は、涙の一滴どころか悲しい表情さえ見せなかったのが僕の中で強い衝撃として残っているのですが、
それが想い出の1つどころか顔さえ分からない、仮に奇跡的に道ですれ違うことがあったとしても、お互いに親子であることを認識することさえ叶わなかったであろう親子の永遠の別れの形だったのでしょう。
それに比べて今の自分が置かれている環境が幸せであることを、幼いながらに実感したのを覚えています。
父親・祖父母の代は戸籍がグチャグチャな事になり、僕自身にも産まれて一度も会ったことのない2人のいとこが日本のどこかに存在しているのですが、父親の強い意志が、複雑な家系の連鎖にストップをかけてくれました。
その上に、平和な環境で仕事や趣味を続けさせてもらえている僕がいるのが現状です。
すっごいベタな話ですが、「普段当たり前に感じてしまっている事への感謝」って、なかなか伝える場面がないですよね。
そして言うにしてもなかなか恥ずかしい…
だけど金曜日、記念すべき式典を終え、表彰状を持ち帰って来たにも関わらず、普段と何も態度を変えずにYouTubeを見ていた父親の横顔に向けて、僕は声をかけました。
「いつもありがとうございますだよ。」
(「だよ」ってなんだよ!!)と思いながらも、まぁ改めて言うのは恥ずかしかったけど、ちゃんと感謝の気持ちを言えてよかったなぁと思います。
父親も、「うん、ありがとうね」みたいな軽い反応でしたが、嬉しそうに返してくれました。
もうすぐ今年も終わりますね。
年末年始には、帰省などで再会できる家族や友人がいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
年賀状の文化は廃れつつありますが、対面でも文章でも、年替わりの節目に何らかの形で大切な人に日頃の感謝を伝えてはいかがでしょうか。
ちなみにうちの家庭では、1月1日の0時を回ったあとのヒトコト目で、「去年もお世話になりました。今年もよろしくお願いします。」と家族間で言い合うのが定例です。
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N.K.
新規メンバーフォロー担当統括
小さい頃は生クリームの甘さが苦手で、誕生日祝いの度にゲロっていた。小5で克服。