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  3. 私の好きな音楽~ディーリアス「ヴァイオリンソナタ第3番」

メンバーのつぶやき

ここ5年くらいは、音楽に関しての日記の類は書かなくなったのだが、たぶん、ピアノサークルとかで色々実際に話す仲間と出会い、あえて文章で書く必要もなくなったこともあるのかも知れない・・・

ディーリアス「ヴァイオリンソナタ第3番」

ディーリアス生涯の終わりにかかれた、この世の対する挽歌。ノスタルジックなラプソディー。ディーリアスの音楽は押し付けがましくなくていい。この点、フォーレと一緒である。しかし、ディーリアスが演奏される事も稀ながら、この第三番のバイオリンソナタも演奏はおろか、録音も非常に少ない(多分、2-3枚ではないか)。ある意味、内省的な作品という点では他のあらゆるバイオリンソナタに追随を許さない名曲である。なお、この作品は当時既に四肢が麻痺していたディーリアスはEフィンビーに口述筆記し、この作品を完成させた。Carley書簡集によれば、1918年に第1楽章のスケッチ。1924年に第2、第3楽章のスケッチ。1930年3月に完成。1933年2月13日、グレを訪れたヴィオラ奏者の Lionel Tertis, が、Eric Fenby, の伴奏でヴィオラ編曲版を作曲者の前で演奏。

フレデリック・ディーリアス(1862-1934)、イギリスの異色の作曲家。「われわれの時代におけるロマンス、エモーションと美の最後の偉大な使徒」(サー・トマス・ビーチャム)。両親はドイツ人であり、また家業を継ぐことを望む両親の反対を押し切って音楽に没頭していった彼自身も北欧、フロリダ、ライプツィヒを転々とし20代後半からはパリ郊外に住んでいたので母国との縁は深くない。ドイツにおいて作曲家としての名声を得るもイギリスで彼の名が知られるようになったのは40歳を過ぎた頃、 Thomas Beechamが彼の作品を取り上げるようになってからだった。

晩年は失明と四肢の麻痺という苦難に見まわれるもEric Fenbyに口述することで作品を生みだしていった。昔、三浦淳史氏存命中は彼のディーリアス関係の評論はよく目にしていたものだが、最近はディーリアス関係の論評はあまり目にしなくなった。ちなみに、ディーリアスとブルックナーの作品だけはゆったりとしたテンポが似合う。これらの作品は他の作曲家とは異なった独自の時間軸上で音は流れ、そこには作者個人の息づかいが不思議なほど感じられない。特にこのディーリアスの作風は流れゆく雲のように瞬間瞬間微妙に変化し、全体の構成そのものより一小節ごとの前後の連関のみで「結果的に」全曲が完成されているという独自の世界。ノスタルジックなラプソディーを聴くとしばし時間の感覚が喪失させられ、また点描画の様な内声の動きの精緻さは一聴の価値がある。

ディーリアス「チェロ協奏曲」

三浦淳史のライナー・ノートによれば, 初演は1924年, フランクフルト, アレクサンドル・バルヤンスキー独奏。人口に膾炙したのは, ビアトリス・ハリスンによる。復活はジャクリーヌ・デュ・プレによる。「協奏曲と銘うたれているにもかかわらず, ディーリアスは伝統的な協奏曲形式を拒否し, 五つの楽章をきれめなく演奏するよう書いている。休止も, カデンツァもないチェロと管弦楽のためのイディル(田園曲)と呼んだほうがよいかも知れない。最初の<コン・モート・トランクィロ>で独奏チェロが歌う旋律にしても主題というよりはディーリアス好みのバルカロールのリズムをうみだす手がかりにすぎない。ヴィルトゥオーゾによってのみ演奏可能なチェロの独奏パートを除いては協奏曲の書法に従わず, むしろ交響詩を思わせるものがある。ディーリアスは長い旋律によって抒情的な音楽の線を展開させる意図をいだいていたという。彼自身は自作の他の協奏曲よりもチェロ協奏曲を愛していたが, その理由は『旋律上の創意』にあったといわれる。曲はラプソディックな夢想をたたえつつディーリアスの愛した日没へ沈んでゆく。」

(2006.5.3)

この日記を書いたのは・・・

_1388569125.13451_894 健太郎 30代男 O型てんびん座168cm。ピアノは6年前に始めました。最近すこしさぼりがちですが、 宜しくお願いします。


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