ピアノ教室での教材は、お定まりのバイエルからです。バイエルの最初の音符は中央のハではなく1オクターブ上のハに右手の親指を置いて「ドレドレドレドレドー」に始まります。学校の音楽では、ほとんどのメロディーが中央ハからの1オクターブ内に収まっているので、たったこれだけでも新鮮な印象が得られましたが、次の段階で、左手でファミファミ、右手でシドシドを同時に弾いたとき、自らの指が醸しだした玄妙な和声の響きにたちまち魅了されてしまいました。
ピアノには到底、手が届きませんが、父は48鍵の小さなオルガンを買ってくれました。いくらだったかは知りませんが、おそらく、数千円程度の物でしょう。このオルガンはつい最近まで実家の隅に残っていましたが、残念なことに処分されてしまいました。瞬く間にバイエルを終えて、主教材はバイエルからソナチネへと進み、その間の副教材としてメトードローズ、チェルニーが用いられ、運指練習のためにハノンが与えられました。ブルグミューラーを使う先生もいたようですが、私は経験がありません。今の発表会ではギロックなどがよく出てきますが、当時は聞いた覚えがありません。
オルガンとピアノではまるで弾き方が異なりますが、それでも、読譜や運指の練習が不可能というわけではありません。しかしそれも、ソナチネまででした。ソナタに進むと、これはもう無理です。中学1年生の終わり、2巻分のソナチネを終えて、ソナタの教本を渡されたころ、私はすっかりピアノに嫌気がさしていました。だいいち、先生は、私にペダルの使い方を教えませんでした。たとえ教えてくれたとしても、それをオルガンで再現することは不可能です。ペダルが無くても、ソナチネは弾くことができます。しかし、ペダル無しで弾くソナチネの味気無さには、いかに中学生と雖も耐えられませんでした。ソナチネの中にも、音楽的魅力を備えた曲が若干はありましたが、そうはいってもソナチネはソナチネ、子供だましにすぎない(と、当時は感じておりました)。
結局は4年足らずでピアノ教室をやめ、ピアノへの興味も失くしてしまいました。