「古寺巡礼」
母が白洲正子を評価していて、蔵書にあったためかつて読んだ本です。
かなりさかのぼりますが昨年末、
古本屋のセール広告が目に入り、
少し時間があったのでフラフラと立ち寄ったところ、
均一棚に同名の文庫本(\100-20%)を見つけました。
偶然見つけた古本屋でしたが、宝箱のようでした。。
パラパラと読んで、それなりに(いろいろな意味で)
面白そうだったので購入しました。
「(ほぼ)同じ名前でもっと昔に出版された本見つけたから、買ってみた!」
というサプライズプレゼントのつもりで。
・・・はい、すでに母は高校(中学?)時代で気に入り、
単行本で持っていたそうです。。
(もう人にあげたらしく、今はありませんが)
これがDNA・・・?
少し悔しい一瞬を味わいました。。
それが和辻哲郎著、「古寺巡礼」。
(※初版ではありませんが)
彼が京都で見た仏像の姿を記した本ですが・・・
端的に言うと、ロマン的(?)で好みではない。
精神、感情を文章に直に起こしている感じで、
伝えたい気持ちは感じるのですが、
押しつけがましいというか、感情全開というか・・・。
かといって三島由紀夫ほど飾られると、
それはそれで話が進まない感でイライラしたりします。。
しかし「収まる場」については共感しました。
保護や修復のため資料館などに移された有名な仏像の美と、
荒れ寺にたたずむ無名の仏像の美と。
それが本来、収まる場所にあることが、その魅力を最大に引き出すのではないかと。
さらに時。
白洲正子が描く、
秋の明け方に刻々と昇る朝日を映す水鏡に照らされる、
平等院の堂内と本尊もそそられますし、
和辻哲郎の記した、
月光に照らされる三月堂の姿も。
そしてそれを見に(体験しに)行くためには、
車などで労せず山門までつけるのではなく、
自らの足で参道という道程を辿るべきだということ。
(商業主義の発達で難しいですが。
鎌倉のお寺とか、裏道をさまよっているといつの間にか
タダで入れてた昔が懐かしい・・・)
なんでも当てはめるのは良くないことですが、
つい考えてしまいます。
この曲は、この時にふさわしいか。
この音質は、この会場に合っているか。
この奏法は、このピアノの魅力を周りの人に伝えられるか。
この練習は、自分の体の声を聴けているか。
私、がここで弾いていていいのか。
すべて成立させるのは無理と分かってはいますが、
出来る限りのことをして、
一生、本気遊びをしていたいと思います。。