「男のすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
土佐日記の冒頭として有名な一節です。「男がするという日記というものを、女の私もしてみようと思ってするのだ」というそのままの意味ですが、日記っぽく唐突な感じが良いですね。
よく知られている話ですが、この文を書いた紀貫之は男性です。土佐日記は教科書に載るくらい文学作品として評価されていますが、この一節だけ切り取れば、ちょっと恥ずかしい黒歴史みたいなものに見えてしまいます(笑)
基本的に私が日記を書く時は、恥ずかしながら中々に時間をかけて構成を練っています。が、たまには日記っぽく書き殴ってみたくなったので、普段とは違う文体で書いてみたいと思います。題材は、金沢出張中に印象的だったとある1日の出来事です。
黒歴史行き確定な気がしますが、仕事疲れたし、もういいか。「後は野となれ山となれ」って良い言葉ですよね。
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夕方、金沢駅にいる。陽はまだ残っていて、駅は観光客で溢れている。週末の観光に心躍らせる観光客の高揚感は、これから約4時間にも渡る長くて抑揚のない帰路にうんざりする自分の気持ちと対照的だ。こうやって愚痴なら延々と思いつくが、もうおっさんに片足突っ込んでいることだし、そういうものは全てため息一つに込めて自分の中にしまっておくものだ。
さて、新幹線までは時間がある。いつものように兼六園口を出て地下にあるピアノの元へ向かう。いつもとは言うが、週3回程度を「いつも」と言って良いかどうかは議論の余地があるな。でも「いつも」と言っておいた方がピアニストとして箔がつくから良いか。と、言うわけで、いつものように胸は高鳴り、手は震え、呼吸は浅くなる。いつものことなのに情けない。慣れないものだなぁと呆れてしまうが、普通に練習するよりは何倍も刺激的なので、これはこれで悪くはない。
人通りは若干あるが、ピアノの周りには誰もいない。ラッキーだ。とっとと弾いて帰ろうなどと思いながら弾き始める。疲れてはいたがなんとなくテンションを上げたかったので、何も考えずに弾けるスーパーマリオの曲とブギウギの曲を弾くことにした。出来はまあまあといったところだろうか。一人で弾く通りとはいかないが、そこそこ気持ちよく弾けている。
さて、そろそろ弾き終わってしまう。いつも思うのだが、ピアニストは、弾き終わった後にどんな顔をすれば良いのだろうか。もう3年間も人前で弾いているというのに、ピアノを弾き終わった後にどう振る舞えば良いのか、全く分からない。弾き終わった後、逃げるようにトイレへ向かう、というのを良くやってしまうのだが、サークルのメンバーにはバレていないだろうか。幸いにも今日は周りに誰もいないので、とっとと逃げて新幹線に乗ろう。そんな風に思っていたら、突然拍手の音が聞こえた。
驚いて振り返ると、まさに「理想的な家族」と言いたくなるような、両親2人と小さな娘さんの幸せそうな三人家族が、私の演奏を聴いてくださっていた。羨ましいを通り過ぎて尊い。父親の着ている麦わら帽子と、その下の満面の笑顔が幸せそうなオーラを発散させている。
オイオイ、マジかよ。嬉しいのは嬉しいけれど、困惑の方が勝る。金沢のストリートピアノで拍手をされたのは、と言うか拍手されている人見るのは初めてだ。満足にお礼も言えないままに、戸惑いながら立ち去ろうとした時、こんなことを言われた。
「凄いですね!あの、リクエストなんですけど、パプリカって弾けますか!?」
…あぁ、弾けないです。
申し訳ない気持ちで一杯になる。何故か「この人なら絶対弾けるに違いない」というような眼差しを向けられているのだが、そんなに凄い演奏をした覚えはない。「ポップス弾くからって何でも弾けると思うな!」なんて本心を言っても格好悪いだけでしょう?
嘘をついてもどうにもならないので、「ごめんなさい。弾けないです」と言うと、残念な顔をされてしまった。ピアニストとして最もやってはいけないようなことをしてしまったような気分になった。しかし直後、私は、驚いたことに「前前前世でも良いですか?」などと言っている。俺は一体何を言っているんだと思いつつも、「良いですね!お願いします!」となったので、結果的には悪くはない。
もう一度ピアノの前に座る。見ず知らずの人にリクエストを受けているのだ。今回は訳が違う。だいたい前前前世なんて最近人前で弾いてないし、さっき弾いていたマリオなんかよりも数段難しい。マリオだって相当難しいんだぞ?などと雑念が頭の中で入り乱れる。これはやばいかもしれない。緊張は桁違いで、心臓も荒ぶっている。「前前前世で良いですか?」などと自分で言ったことを棚に上げて、どうしてこうなったんだと思いながら弾き始める。
当然の如く散々だ。息を吐くようにミスタッチをしている。しかし、よく分からないけど身体は動いている。何より、楽しい。自分のミスタッチに苦笑いするくらいの余裕もある。こう言うのも悪くはないかなと思いながら弾き終わる。
また拍手をされた。「ありがとうございます」と今度はちゃんと言えた。言えたは良いものの、そのあとが続かず、苦し紛れにこんなことを言っていた。
「このピアノ、誰でも弾けるらしいですよ。よ、良ければどうぞ。」
「らしい」は余計だが、これを言えた自分には“あっぱれ”をあげたい。多分あの張本さんも“あっぱれ”をくれるんじゃないだろうか。突然勧められて戸惑いながらも、鍵盤を押して鳴る音に素直にはしゃいでいる家族の姿を横目に、やっぱりストリートピアノはこうあるべきだな、と思いながら新幹線の改札へ向かう。
パプリカか。東京オリンピックの応援ソングか何かだっただろうか。オリンピックまでには弾けるようになっておこうかな。もう二度とあの家族に会うことはないのだろうけど、もし万が一、ピアノの前で会うことがあったら、サラリーマンポップスピアニストの意地というものを見せつけてやろうじゃないか。
新幹線の座席に座ってもまだ、心臓は高鳴っている。まったく、金沢は遠すぎる。今すぐにこの気持ちを鍵盤にぶつけたいのに、家に着くのは日が変わる直前の真夜中だ。でも、「人生思うようにいかないことばかりだ!」と松岡修造も言っていたし、人生そんなもんなんだろう。家に帰る頃にはピアノを弾きたいなんて思えないほど疲れているのだろうけど、このままもうちょっとだけ余韻に浸って、暇な時にパプリカの楽譜を探して、明日からはまたいつものように気ままに鍵盤を叩こう。
あぁ。疲れた。新幹線で寝るのは、小学生のとき以来だろうか。