「アンタ、ろくに歩けもしないくせに、何をバカ言ってんだい。」
2020年オリンピック開催地に東京が選出され、『お・も・て・な・し』が流行語となった2013年のある日。
「妹の成人祝いをまだやっていなかったから」と祖母に呼ばれ、僕は二人の妹を連れて、祖父母の家に遊びに行きました。
半分ボケてしまった上、歩行さえもおぼつかなくなったおじいちゃんが、東京オリンピック決定のニュースを見るや否や、孫の僕たちと一緒にオリンピック観戦に行きたいと言い出し、即座におばあちゃんから冒頭のセリフが飛び出しました。
他にも、孫たちの成長の早さや当時の懐かしさ、学校や仕事の調子など、祖母とボケた祖父の夫婦漫才を交えつつ、ひとしきり話しました。
おばあちゃんがご飯を作ってくれるのを待ってる間は、おじいちゃんが何回も同じ話を繰り返したり、お年玉を2回もくれそうになったり…
ツッコミ役のおばあちゃんが席を外している間は、おじいちゃんのボケの無双状態でした。
「東京オリンピックまで生きてたら良いなぁ」なんて、縁起でもない冗談も挟みつつ、その後も年に1度、行けるか行けないかぐらいの頻度で会いに行っていました。
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2020~21年
突如訪れたコロナ禍で、私生活における行動に大幅な制限がかかりました。
そんな中、祖母による老々介護に限界がきて、今日(2021/7/24)から祖父が老人ホームに移る事になりました。
祖父・祖母ともに2度のワクチン接種が済んでいたこともあり、立ち会いと荷物設置のお手伝いのため、今日は2年ぶりに祖父母に会いに行く事ができました。
埼玉県川口市にある老人ホームまで、家から片道2時間の道のりでした。
うちの家族の到着時、ちょうど祖父母も老人ホームに着いたところで、タクシーから姿を現したよちよち歩きの祖父を、僕と父が片腕ずつ貸して施設内に移動させました。
歩行は相変わらずおぼつかない様子でしたが、思いのほか腕を握る祖父の握力が強く、安心しました。
部屋に入ると、祖父母宅から持ち込んだ生活用品やテレビの搬入・設置を家族で協力して済ませました。
一段落ついたところで祖母が契約書類を書きにフロントへ呼ばれました。僕の両親もそれを手伝いに行き、僕も行く流れになりかけましたが、祖父を一人放置するのは気が引けたので、祖父と二人、部屋に残ることを選択しました。
コードも繋ぎ終えたテレビには、ホッケー日本vsオーストラリアの様子が映っています。
この映像を何の気なしに見ているうちに、ハッと気付きました。8年前に祖父が望んだ『孫と東京オリンピックを観る』という夢が叶ったのです。
それに気づいた瞬間、急に涙が込み上げてきました。
とはいえ、久しぶりの再会と、祖父と二人きりでたくさん話せるこの機会に泣くのは憚られるので、グッとこらえて色々と話を振ります。
「好きだった将棋や囲碁の方はどうですか?」
『僕は下手くそだし、たくさん負けたけど、やることが好きで続けてましたよ。将棋道場にも行ったりしてね。』
(これを聞いて、僕のピアノに対するスタンスと同じだなって思い、なんか嬉しくなりました。二人とも上手くなることより楽しむことを重要視し、趣味を継続してきました。)
「家ではいつも何をしてるんですか?」
『テレビを見たりしているよ。歌謡曲、特に演歌が好きでね。曲名は覚えられないけど、好きな曲がたくさんあるんだよ。』
そこからは祖父の曖昧な記憶を頼りに、YouTubeで色んな歌手を検索し、良い曲ですね、名曲は何年経っても名曲ですね、などとお話ししながら5、6曲聴かせてあげました。リズムに合わせて体を揺らし、楽しむ姿が見られて、僕も嬉しく楽しい気持ちになりました。
そしてついでに、こちらのピアノサークルの発表会で僕が弾いた時の映像も、おじいちゃんに見せてあげました。
『お上手ですね。』
クラシックに縁のない祖父の反応は、演歌の時とは裏腹にとても薄かったですm(._.)m
けど、昨年末に亡くなった母方の祖父母には僕のピアノ演奏を一度も聴かせることができなかったので、父方の祖父には聴いてもらえて満足です。
あれこれ話しているうちに、会話の感じからあまりにも他人行儀な気がしたので、恐る恐る僕の事が分かるかと聞いてみると…
『分からないです。』
と言われてしまいました。フルネームで名乗っても、『聞いたことはあるけど、思い出せないなぁ…』と言われました。
仕方がないので、おじいちゃんの子供の○○さんの子で、妹の○○と○○がいます。などと、少しずつ周辺情報を交えて説明してあげたら、ようやく理解してくれました。
しかしそれも束の間、1つ別の話題を話せばすぐにリセットされ、一瞬で僕の事が誰だか再び分からなくなってしまいます。
父の事も、『あいつは俺の友達で、小さい頃はよく遊んだものだ』と言い出したり、自称77歳なのに『おばあちゃんと結婚したのは81年前だ』という時系列の崩壊が起こったり…
そして数年前と同様、繰り返し同じ話を無限にループする現象も始まりました。
それでも、僕も負けずに何度も相槌を打ったり、話を掘り下げてあげたりし続けました。
書類を書きに出ていった祖母と両親が部屋に戻ってきたのは、なんと1時間半も後の事で、その間ずっとこの調子でおじいちゃんとの会話を続けていました。
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どれもこれも、日記を書いている今の時点で、今日の久しぶりの再会は、祖父の記憶から消え去っていることと思います。
けど、ずっと会えずにいた祖父とたくさん会話の相手をして、大好きな演歌もたくさん聴かせてあげられて、僕なりの『お・も・て・な・し』ができたかな、と思います。単なる自己満足ではありますが。
またおいで。と言ってくれたので、再訪を待つ祖父に、またいつか会いに行きたいと思います。