春の定期演奏会おつかれさまでした!
演奏会の実行委員の方、そして運営の方々、本当にありがとうございました。
僕は牛込も北とぴあも行きましたが、やっぱり生の演奏には刺激を受けますね。いい演奏を沢山聴くことができて本当に良かったです。
リャードフの舟歌めっちゃいい曲だったし、ベートーヴェンの後期ソナタはやっぱり偉大だった。シューベルトのソナタや武満徹も自分からは普段聴かないのでとても新鮮でした。
そして、みんな大人で社会人で働いているのに、どんだけ練習してきてるんだよって毎回思う。きっと自分も思われているんだろうけど(笑) そんなピアノが本当に好きな人たちの演奏が聴けて、聴いてもらえて、やっぱり楽しいですね。
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さて、僕は今回北とぴあ会場で、ショパンのマズルカ第14番(Op.24-1)と、ポロネーズ5番(Op.44)を演奏しました。特にポロネーズのほうは思い入れがあるので、この日記に書いておこうと思います。
僕がショパンのポロネーズと出会ったのは確か中3の終わりくらいの頃。巨匠ルービンシュタインの「ショパン ポロネーズ集」のCDでした。
当時の自分はショパンの音楽に興味を持ち始めて、色々聴き始めていた時だと思うのですが、ポロネーズの堂々たる音楽にすっかりハマってしまい、当時ショパンの中でも一番好きなジャンルになりました。
最初の頃は第6番の英雄がとにかくいいなと思って聴いていましたが、繰り返し聴く間に、ある日突然第5番の魅力に気付き、暫くして第7番「幻想ポロネーズ」もいいなぁと感じ始めて、この3曲を繰り返し聴いていたと思います。
ポロネーズ第5番の魅力は、なんといっても「不屈の精神」のような曲調のポロネーズと、中間部の牧歌的なマズルカ、そしてそのコントラストですね。この曲に対する僕のイメージを以下に書いてみます。
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疑念を問いかけるように始まる印象的な序奏。その募る不安が高まり頂点に達した時、ポロネーズのテーマが決然と始まります。そのテーマは力強く、気高く響き、聴く者の心を熱くさせます。苦しみの中にあっても一歩一歩大地を踏みしめて前進するような印象のポロネーズです。
途中、「嘆きの歌」とも感じられる上昇音型の部分を挟みつつ、繰り返すごとに盛り上がるポロネーズですが、結局毎回同様のメロディーに行きつく。その度に、何か理不尽な状況に立ち向かい、闘っている様を感じさせます。
そして落ち着いたところで3回鐘が鳴ると、その余韻の中から長い行進が始まります。執拗に繰り返される無機質な音型が、まさに軍隊が列をなして荒野を行進するような印象のこの部分、途中に聞こえる「嘆きの歌」は、戦地に赴く男たちの哀愁を思わせます。
その長い行進がひと段落したのかしていないのか、夢かうつつかという感じの中で、曲は突如としてマズルカになります。
花の香りのするような平和的な響きは、故郷の田園風景を思わせるものであり、時々強調されるリズムは田舎の人々の素朴な踊りのよう。このマズルカの部分は途切れることなく移ろい転調し、夢見心地だったところから段々と明瞭になり、本当に故郷に帰ってきたかのような感じがして、喜びに満ち溢れます。素朴な情景の中に、はっとさせられるような美しい部分もあり、どこか懐かしい感じもする、でも掴みどころがない…そんなマズルカです。
しかし、心地よいまどろみを感じ始めたその時、背後から不気味な影が迫るように低音に序奏の音型が現れます。まさに「雲行きが怪しくなる」といった描写ですね。本当は自分が荒廃した戦地にいて、闘いの最中にあることを思い出さされるわけです。
さっきの美しく平和な光景はやはり幻だったのか。疑惑の静寂。そしてそれを突き破るように現れる2回の両手ユニゾンが現実に引き戻し、序奏と同じ両手オクターブによって、再度闘いの幕が切られます。
再び始まった宿命のポロネーズ。前半と同じように繰り返される様は、この闘いが過酷な運命への無謀な反逆であることを感じさせます。それでもなお、諦めず闘う戦士たちの不屈の魂。
しかし最後には、もはやどうにもならない状況で、無念さを感じさせる空気の中、闘う者は1人1人と斃れてゆき、殆ど全てが消えかかったその瞬間、悲痛な叫びが響き渡り、その余韻を残して、曲は幕切れとなります。
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いやー、心にきますね。重い!
単なる響きの重厚感だけではない重さがあります!
終わり方もだんだんリタルダンドとデミニエンドをして、最後に強烈なffのオクターブが響く。聴き手の心に楔を打ち込むようで、とても好きです。
さて、この曲はフランツ・リストもその芸術性を絶賛した曲で、以前日記でも書いたリスト著『F.CHOPIN』の中でも取り上げられています。以下にリストの言葉を引用しましょう(フランツ・リスト著 八隅裕樹 訳 『フレデリック・ショパン その情熱と悲哀』より)。
「第一主題…(中略)…の中には、無謀にも嵐と言う自然の猛威へ向けられた反骨心や、すさまじい憤怒の叫びが聞こえる。」
「…突如として田園風景へ移り変わり、我々はラベンダーとスイート・マジョラムの香りの中で牧歌的なマズルカに包まれるのであるが、その優しい響きは、先立って感じた深い悲しみの余韻を消し去るどころか、むしろ、その辛辣かつ劇的なコントラストによって、一層我々の胸の痛みを増幅させる。だからこそ、第1主題に戻ったときには、不思議と、安心に近い感覚がこみ上げてくるのだ。素朴で純粋で控えめな幸せというこのマズルカの生み出す不穏な矛盾から解放されると、我々はまた崇高かつ宿命的な闘いの気高く重々しい苦悩に心を重ねることとなる。そして、この即興的作品は恐怖の痙攣を伴いながら夢のように終結し、この世のものとは思えないような、不思議で、わびしく、寒々しい情緒を人の心に残していく。」
こんな感じで、リストもとても感性豊かに、この曲の魅力を語っています。
平和なマズルカから闘いのポロネーズ部分に戻った時に、逆に感じる安心感…みたいなのは、確かに!と思いますね。
あと、僕もこの曲をさらった時に、マズルカの最初のメロディーの出だしで「花の香り」のように感じたのですが、リスト様も同じ感覚だったのがとても嬉しいです(笑)
それから、この曲の次のポロネーズがあの超名曲の「英雄」であることも、意味がある気がしています。
僕はこの第5番と英雄が、丁度Op40の第3番「軍隊」と第4番のように、表裏一体というか、対をなすポロネーズなのだと思います。
ショパンは、11月蜂起の鎮圧やその後のポーランドの不遇等、苦しみの現実としてのポロネーズ第5番を書いた。一方で、未来の栄光を夢見たのか、自分の理想とも言える格調高い曲も書いた。それはまさしく誇り高き凱歌であり、「英雄」の名を冠するに相応しい曲だった。
ま、想像ですけどね。でもなんかそんな気がします。
なので、英雄ポロネーズは、第5番の壮絶な苦しみが昇華されたその向こうにある。だから英雄は真に格調高く、誇りと栄光を感じさせるように弾かなきゃいけない。そう思っています。
そして、ルービンシュタインの演奏は、まさにそんな感じのする演奏なんです。
演奏会前には、他の人の演奏を聴かないことにしているのですが、演奏を終えてから再度ルービンシュタインの5番、6番、7番のポロネーズを聴いて、やっぱり凄くいいなと思いました。今でも一番好きなポロネーズの演奏です。みなさんも是非聴いてみてください。
ということで、今回はこれまで!
S.T.