どうも、T.N.です。今日も元気にストリートピアノ日記を書いていきたいと思います。
※この日記は前回からの続編です。
北九州での時間を存分に満喫した筆者。この日の夕方は、小倉駅から新幹線に乗り、佐賀県鳥栖市の新鳥栖駅へと向かいました。
新鳥栖駅で下車すると、改札外の通路にはヤマハのアップライトピアノが設置されていました。ちょうど帰宅途中と思われる男子高校生二人が、楽しそうに連弾しているところです。
自然体で音楽を楽しむその様子が印象的で、駅という日常の中にピアノが根付いている光景は素敵なものだなと感じました。演奏を終えた彼らに拍手を送り、次は筆者の番です。
ここではベートーヴェンのソナタ31番1楽章を演奏しました。
ピアノのコンディションは良好で、鍵盤のレスポンスも非常に素直です。音は壁に心地よく反響し、透明感のある音色が周囲へ広がっていきます。
ピアノのそばを時折人が通り過ぎるものの、人通り自体はそこまで多くなく、比較的落ち着いた環境で集中して演奏を楽しむことができたように思います。
その後は在来線へ乗り換え、お隣の鳥栖駅へ向かいます。
駅からほど近い場所にある「サンメッセ鳥栖」は、地域の文化活動やイベントなどにも利用される複合施設です。
館内へ入ると、ロビーには1台のグランドピアノが置かれていました。ピアノの上には花束が手向けられており、どこか特別な存在であることが伝わってきます。
実はこのピアノには、深い歴史が刻まれていました。
このピアノは1931年、鳥栖国民学校(現在の鳥栖市立鳥栖小学校)に設置されたもので、ドイツのフッペル社製。フッペルのピアノといえば特に高級なものとして知られていますが、学校の先生や婦人会の有志らにより多額の寄付があって購入に至ったそうです。
1945年夏には、陸軍目達原飛行場から二人の青年が、約12kmの道のりを走って鳥栖国民学校を訪れました。彼らは翌日に特攻隊員として出撃することが決まっていたそうで、うち1人は音楽学校でピアノを学んでいたのだそうです。
彼は「最後の思い出にこのピアノを弾きたい」と願い、ピアノのもとに訪れたそうです。
そして弾いた曲は、ベートーヴェンの「月光ソナタ」。翌日、彼らは南の空に飛び立って行きました。
この実話は1993年、「月光の夏」として映画化もされ、多くの人々に語り継がれることとなります。
戦後長い年月を経て、こちらのピアノも老朽化が進み、一時は処分される寸前だったそうです。しかし、この歴史を知る鳥栖小学校の先生が保存活動に尽力したことで、ピアノは修復・保存されることになりました。
その結果、現在サンメッセ鳥栖でこうして再び多くの人が触れ、音を響かせることができる存在として受け継がれています。
単なる古い楽器ではなく、戦争の記憶、そして平和への願いを今に伝えるピアノ。その前に立つと、自然と背筋が伸びるような思いがしました。
こちらのピアノですが、受付に申し出れば演奏することもできるとのこと。
係の方からは、施設の2階には図書館などもあるため静かに演奏すること、時間は5分程度に留めること、そして歴史ある貴重なピアノであるため丁寧に扱うよう案内がありました。
ありがたく弾かせていただくことにしました。
演奏したのは、かつて特攻隊員の青年が最後に弾いたのと同じ、ベートーヴェンの月光ソナタ1楽章です。
鍵盤に触れると、柔らかさの中にも深みのある音色が静かに響きました。100年近く前のピアノとは思えないほど美しい響きで、長い年月を経ながらも大切に守られてきたことが伝わってきます。きっと、これから先も末永く演奏できるよう、丁寧なメンテナンスが重ねられているのだろうと感じました。
筆者自身も好きな月光ソナタを弾きながら、かつてこのピアノで同じ曲を奏で、それが人生最後の演奏となった青年の無念さに思いを馳せると、胸に迫るものがあります。
音楽を愛しながらも、その未来を断たれてしまった時代があったこと。改めて、こうした悲劇は二度と繰り返してはならないものであり、いま平和な時代に自由に音楽を奏でられることの尊さを深く感じさせられました。
こうした貴重なピアノを演奏させていただけたことへの感謝を係の方にお伝えし、その場を後にしました。
