執筆者 chopin | 1月 4, 2016 | メンバー日記
メンバー日記 その頃久は、弥太郎のマネージメントで朝鮮と満州にも渡り、度々演奏も行っている。京城では定員1200名の会場に800名の入り、その内訳は5円券が300に3円券が500と、そうした記録を兄弥太郎は毛筆で克明に書き記している。京城の次は奉天、大連、しして旅順へと、弥太郎・久の旅は続くが、どこも700から800の入りであった。明治から大正にかけてのあの時代、情報網の限られ乏しかったあの時代のクラシック音楽の普及度から考えれば、今の3000から4000の大聴衆に匹敵する入りといえるだろう。...
執筆者 chopin | 12月 18, 2015 | メンバー日記
メンバー日記 こんにちは!Jin.です。 いよいよ2015年も終わりを迎えますね。皆さんにとって今年はどんな1年だったでしょうか? 私は、今年の5月練習会Bからサークルに参加して以来、激動&怒濤のピアノライフとなった1年でした。 去年20年ぶりに再開したピアノのモチベーションを少しでも上げられれば、という軽い気持ちで参加して半年余り…今ではすっかり「ピアノ中毒」になってしまっています(^_^;...
執筆者 chopin | 12月 13, 2015 | メンバー日記
メンバー日記 明治43年(1910年)、久は東京音楽学校の助教授に任命された。ピアノを始めて僅か9年、23歳の久は日本のピアノ界の未来を担って立つ者として、その名声、人気は人もうらやむ程のものとなった。 この年、7歳の少女が母親に手を引かれて、彼女の教えをもらいに門を叩いている。文豪で軍医の森鷗外の愛娘(まなむすめ)、茉莉(まり)である。後に彼女自身も作家となった森茉莉は、この7歳のときの思い出を、1984年当時の「週刊新潮」に連載だった「ドッキリチャンネル」でこう書いている。...
執筆者 chopin | 11月 26, 2015 | メンバー日記
メンバー日記 バッハのオルガン曲について バッハのオルガン曲は、弾いていて元気が出てくる曲が多いのです。駒場祭でひく変ホ長調BWV552もそのひとつ。少し曲が長いので(全部で16分)怖れ多くも前奏曲を少しカットしています。その時の言い訳をプログラムに書いています。以下、少し長いですが… ・バッハの作曲方法...
執筆者 chopin | 11月 23, 2015 | メンバー日記
メンバー日記 叔父のもと邦楽の修行を続けていた久は、帝大の学生となって東京に住む兄弥太郎の助言に従って京都を離れ、東京音楽学校への入学準備を始めるべく上京する。そのとき彼女は15歳であった。しかし、己の人生の岐路に立っていることを充分に自覚していたに違いない。 ...