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【メンバー日記】坂の上のなんとか


まことに小さな団体が(注1)
開化期を迎えようとしている。

小さなといえば、
令和初年のPH会ほど小さな団体は
なかったであろう。

産業といえば音楽しかなく、
人材といえば、
おおむね小学生のころからピアノを始めて受検を機にピアノを辞めてしまった音楽好きの社会人しかなかった。

団体設立によって、
音楽好き社会人は初めて近代的な
「PH会」というものを持った。
誰もが「PH会会員」になった。

不慣れながら「PH会会員」になった音楽好きたちは、
団体史上の最初の体験者として
その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、
この段階の歴史は分からない。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、
ある一定の資格を得るために、
必要な記憶力と根気さえあれば、(注2)
SK担当にもIT担当にも発表会実行委員長にも統括にもなりえた。

この団体の明るさは、
こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、
ピアノと楽譜の他に主要産業のないこの団体の連中が
他のピアノ団体と同じ発表会を開こうとした。
クリパをはじめとした他のイベントも同様である。

財政の成り立つはずがない。

が、ともかくも近代ピアノ団体をつくりあげようというのは、
もともと団体設立の大目的であったし、
設立後の新会員達の少年のような希望であった。

この物語は、その小さな団体が自然界における
最も強大な災害の一つ台風と対決し、
どのように振る舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の
小さなPH会ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は
3組の実行委員のあとを追わねばならない。

関東は武蔵ちばちゃん新宿西口店(注3)に、3組の実行委員がいた。

このコスパよろしい居酒屋に生まれた関内実行委員は、
最初の秋定期発表会にあたって
開催は不可能に近いといわれた
3団体合同ジョイントコンサートを開催するにいたる作戦を立て、
それを実施した。(注4)

その次の江戸川実行委員は、
台風により中止に追い込まれた江戸川に代わる会場を見つけ出し、
史上最短の準備期間といわれる
曳舟定期演奏会開催という奇蹟を遂げた。(注5)

もう一組は、好きな曲、好きな作曲家といった
団体の従来の飲み会の話題に
歴オタ、サイコパス恋バナという新風を入れてその中興の祖となった
元凶、稲城実行委員である。(注6)

彼らは令和という時代人の体質で、
前をのみ見つめながらピアノを弾く。
登っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い鍵盤が輝いているとすれば、
それのみを見つめて坂を登って行くであろう。

PHK(ピアノを弾きたい!会) スペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」

・・・原作・・・
司馬遼太郎「坂の上の雲」

・・・脚本・・・
PH会会員の皆様

・・・音楽/演奏・・・
発表会出演の皆様

・・・出演・・・
関内実行委員
江戸川/曳舟実行委員
稲城実行委員
発表会統括

PH会の皆さん

・・・語り・・・
渡辺謙(友情出演)

・・・撮影協力・・・
横浜関内ホール
稲城市iプラザホール
曳舟文化センター
大衆酒場 ちばチャン 新宿西口店

・・・同時上映・・・
サキちゃんの傘
プロジェクトP~挑戦者たち~「江戸川総力戦」

・・・制作・・・
PHK(ピアノを弾きたい!会)

(ちいさな光が 歩んだ道を照らす~♪)

注1 実際は全然小さくない。
注2 こんなものなくても幹事会に出れば誰でもなる
注3 PH会御用達居酒屋。おすすめは唐揚げバカ盛とビールのバカサイズ
注4 本当にお疲れ様でした。
注5 本当にお疲れ様でした(曳舟発表会の経緯については、PHK制作、プロジェクトP~挑戦者たち~「江戸川総力戦」を参照
https://mimi.official.jp/sns/public_html/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=5334&comment_count=24 )
注6 女性に対して紳士的振る舞いで知られる副実行委員長とわざわざ晴天祈願までした実行委員長の、日ごろの行いが良すぎたおかげで台風が来ない発表会となった。

※元ネタ

ということでスペシャルドラマ・・・じゃなかった、稲城の発表会が無事終わった。
まずは出演された皆様、本当にお疲れ様でした。
そしてスタッフとして活動してくれた方、本当にありがとうございました。

失敗が多く、皆様に多大なご迷惑をおかけしたものの実行委員長の職を曲がりなりにも全うできたのは本当に皆さんのおかげだと思っております。
またこのような貴重な機会と立場を与えてくださった統括はじめ運営メンバーの皆様、本当にありがとうございました。
今回の経験を活かし今後さらに会に貢献していけるよう頑張ります。

以下、毎度おなじみディープな日本史の話になるので興味のない人はここで閉じること。
————————————————————-

今回の発表会は私にとって約15年ぶりに人前で弾く発表会となった。
選んだ曲は久石譲作曲の「Stand alone」
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の主題歌となった曲だ。原作は司馬遼太郎の「坂の上の雲」

本邦屈指の知名度を誇る作家、司馬遼太郎の作品の中でもこの作品はつとに有名である。

明治維新で近代国家への道を踏み出した日本が、その発展の過程で清国、ロシア帝国と戦い帝国主義の世界を生き抜こうとする物語だ。
戦争の話が多いため乃木希典や東郷平八郎といった軍人が多く出てくるのであるが、それ以外にも高橋是清や伊藤博文、小村寿太郎といった政治家、外交官も数多く登場する。
まさに日本の軍官民が同じ目標に向かい総力を挙げていたことがうかがい知れる。

この小説や時代が好きだったので、発表会ではこの曲を弾こうと3か月くらい前から決めていた。(加えて極端にレパートリーと技量が不足していたので他に選びようがなかったという背景もある)
結構ゆっくりした曲なので簡単だろうと思っていたが、いざ練習を始めると全く弾けない。旅順要塞に向かった乃木希典のような苦戦に陥った。

3か月あるから大丈夫だろうと高をくくっていた自分を、助走つけてぶん殴ってやりたい衝動を抑えつつ、聞き苦しくない程度には弾けるようにしていこうと思って練習した。

本番、当然ガッチガチに緊張し、胃の中のものを「大地讃頌!!」と叫びながら母なる大地に返しそうながら弾いたわけだが、その達成感はこれまで経験したそれとは一線を画すほどに格別なものであった。
「そこから旅順港は見えるかー!?」

「見えまーす!丸見えでありまーす!各艦、一望のもとに収めることができまーす!!!」という気分である(伝われ)

出来についてはともかく、曲を選んで練習して人前で弾く、という経験ができてその楽しさを味わえただけでも私の中では合格だと思っている(基本、自分に甘い)

さて、この坂の上の雲であるが、最後はその後日本が歩む暗い道を暗示して終わる。
どのような歴史を歩むのかは学校の教科書で習うとおりである。

ロシアとの戦争からわずか40年後、日本は世界中を敵に回して敗戦を迎える。

日露戦争に勝利し、坂を上り切ったと思った日本だが、さらにいくつもの高い坂があることに気付いた。
その結果議論が生じたが、人びとは議論を統一できなかった。統一できる人も現れなかった。

人びとはもう同じ坂を登らなくなり、思い思いに勝手に登り始めた。

そして

日本人は断崖絶壁に追い詰められ自ら飛び降りていった。

こうして日本は最悪の敗戦を迎える。

この坂の上の雲は近代日本の栄光の頂点を描いているといわれるのだが、実際のところは様々な問題が噴出して後々までそれを克服できなかった、終わりの始まりを描いているともいえるのである。

と、少し陰気な話を書いてしまったのだが、今回の発表会でも同様に、事前準備や練習時間の確保等に多大な反省点があった。

これらをないがしろにせずに次に生かして、またより良い発表会の運営に寄与して、また発表会に出たいです。(平凡な感想)

「Stand alone」 作曲:久石譲 作詞 小山薫堂
ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほどに 人は強さを掴むから 夢をみる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

あなたと歩んだ あの日の道を探す
ひとりの祈りが 心をつないでゆく
空に 手を広げ ふりそそぐ光あつめて
友に 届けと放てば 夢叶う
はてなき想いを 明日の風に乗せて

わたしは信じる 新たな時がめぐる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し

by R.O

ピアノ歴:小学生6年間、現在~
好きな作曲家:久石譲 ドビュッシー
その他の趣味:書道、読書、弓道、旅行、ゴジラ映画を見ること、好きな作家・研究者のサイン会講演会に行くこと、史跡ガイド

最近ゆで卵を上手に作れるようになりました


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