The Day Of

The details

【メンバー日記】ピアノの想い出(その9)


学生時代のクラスメートの奥様は、米国の音大で教鞭を取られるピアニストです。たまたまのメールでヴォカリーズのことに話が及んだ時、彼女は、「ウチには素晴らしいピアノがございます。弾きにいらっしゃいませんか?」と誘ってくれました。いくらなんでも本物のピアニストの前でピアノを弾く度胸は、私にはございません、とお断りすると、「この国では、ピアノを弾く方は、皆、ピアニストなのですよ!」と諭されました。

ピアノが好きで弾く者は皆、ピアニストです、という言葉は、その後、ずっと長く私の胸に残りました。そうなんだ、僕もピアニストなのだ、と思えることは、その後の私のアイデンティティともなりました。

昨年度までで全ての役職から外れ、自身のアイデンティティの多くが消え去りました。意識するしないは別として、私たちは基本的に自らのアイデンティティに寄りかかって生きています。それを失うことは生きていく依り代を失うことでもある、と私は考えます。そして、年とともに失われるアイデンティティを引き留める術も、ありません。放っておくと消えてしまうコレクション、それを保つためにピアノを弾き続けることを自らのアイデンティティとする、はたしてそのようなアイデンティティにどこまで依拠できるかということは、これからの私の生き方にも係わる課題です。

夕刻の一杯のアルコールもまた、生きるよすがです。ほろ酔い気分でピアノを弾くのも悪くはありませんが、実際のところ、あまり酔っていてはうまく弾くことができません。本当は、ピアノを弾くこと自体に酔い痴れることができれば、ということが、今の私の望みでもあります。

長々と書き連ねましたが、これで終わりにします。有難うございました。

【メンバー日記】椅子の高さ考⑥(最終)


前回は一般論の考察まで。

今回は
A:自分自身における考察と、
B:フォームなどを変更するときの落とし穴、
C:結論で終えます。

夏場、私にお会いした方は分かると思うのですが・・・
血管が、それはもう気持ち悪いほど浮いています。
献血センターや病院関係者など、大喜びの腕です。
父親などは生前、「歩く血管模型」などと揶揄してきたことすらありました。。

寒い時期だと収縮してそうでもないのですが、
冬場でもピアノ教室の多くは、暖房をかなりきかせて(くれて)います。
・・・指を動きやすくするため、故障リスク回避のため当然ですが。
そのような環境では、夏場と同じような状態になります。

画像は風呂上がりに、鍵盤と肘が同じくらいの高さ、の条件で撮ったものです。
(※夏場の平常モードがほぼ同じ)

この状態で指を動かすと、4・5の指を動かすたびに、
それぞれの腱の上を、血管がゴリゴリ動いてくれちゃいます。

「腱鞘炎で痛くて」「骨折が疼いて」ほどではありません。
しかし、それなりに痛痒く、くすぐったく・・・
意識を持っていかれる不快感は非常に大きいのです。

これを何とかしたいと考え、血管が出来るだけ浮かないように、
手を高い位置に保った弾き方を試すようになり、
椅子の高さがどんどん下がることとなりました。

これが今の椅子の高さへ導くこととなり、
その過程で、椅子の高さにおけるメリット・デメリットに気付き、
その考えはどのように論じられているかを調べ、
裏付けをしていきました。

型から入ったのではなく、身体的特徴(と性格)に合わせて
試行錯誤した結果であり、初参加したときに宣言した、
『ホロヴィッツやグールドは尊敬していますし、ファンですが、その真似ではありません』
なのです。

そしてここからBパート。

試行錯誤の中、最初に気付いたのはそれぞれのメリット・デメリットでした。
しかし低くしていくうちに練習中、
気がつくと肩をあげてしまい、肩が凝ってくるというデメリットが生じました。

ここで問題となるのが、
「そのデメリットは、本当にその方法を採用した結果なのか」
ということです。

結論から言うと、この凝りは
無意識に今までのフォームに近づけようとして、
肩をあげることで肘・手の位置を上げようとしたためでした。

重要なのは、
「無意識に、今までと同じに近づけようにした」こと。

そうして生まれる問題は、
「このようにデメリットが生まれる方法には欠陥があるから、
この方法には問題がある」
という結論に達することです。

その方法を使いこなせていないことを想定せず、
変化を嫌って無理に今まで通りを、
変化させた環境で無意識におこなってしまい、
その結果出てきた問題は、その方法が原因であると断定してしまう。

フォーム変更に限らず、「変化」させたときには
必ず直面することではないでしょうか。。

以上、長々と私のフォームの理由を言い訳させていただきました。
一見、風変わりでも、理由はあったりするのです。

また、「実際に試したけど効果なかった」のは
やり方に問題がある場合も多々あるもので、
「効果がなかった」という経験をすべてと見て否定に入るのは短絡的で、
それぞれの肉体や年齢、立場などで方法はいくらでも変わる可能性があると思います、
という主張でしたm(.. )m

【メンバー日記】ピアノの想い出(その8)


もう一曲だけ、私の心を捉えた「ヴォカリーズ」について話させて下さい。ヴォカリーズは一般名詞とのことですが、ここに挙げるのは無論、ラフマニノフ作曲の「ヴォカリーズ」です。NHKの「ラララ・クラシック」で取り上げたい曲(ピアノ曲とは限らず)を募集したところ、「ヴォカリーズ」が10位内に入ったとのことで驚きでした。不滅の「カノン」を含め、このようにコードが一段ずつ下降してゆく調べに対し、何故にかくまで私たちの心は惹きつけられるのでしょうか。原曲は声楽曲なので、ピアノ用に編曲されたものとなりますが、ユーチューブを見ると、実に様々な編曲があり、その中でも、コチシュ、リチャードソン、ワイルドによる3つが代表的であることが分かりました。それぞれに特徴があり、ワイルドの編曲はともかく派手で、高度な技術を見せつけます。リチャードソンには目立った特徴はありませんが、オーソドックスでピアニスティックな編曲が綺麗です。

さて、私が自身の自己紹介でも記したのは、ハンガリーのピアニスト、ゾルタン・コチシュの編曲によるものです。前半は原曲に忠実で、旋律とハーモニーをそのままの形で映しており、音を延ばすことができないピアノの特性も相まってやや単調とも言えますが、その特徴は最後の再現部で発揮されます。右手の2オクターブにわたるアルペジョが、圧倒的な存在感をもって、まさに銀河のキラメキを輝かせます。私は、ユーチューブでユジャ・ワンの演奏を見たとき、確かに鳥肌が立ちましたよ。ときには乱暴とさえ見えかねない凄まじいテクニックを見せつけるユジャ・ワンですが、彼女の右手は、押すともなく鍵盤を撫でるようにさすらい、はかなく消え入りそうなたゆたいが、しかしそのかそけさの中でも確実に一つ一つの音を伝えていきます。

一体どうやって旋律を奏でているのかまるでマジックを見る思いでしたが、楽譜を調達し、自分で再現を試みることで、その謎が解けました。これまでの暗譜は、大抵3か月前後に収まってきたのですが、この曲の暗譜にはほぼ1年を要しました。謎は解けても私には、旋律を浮かび上がらせるなどということは、到底無理で、本来のマジックは、それなりのテクニックがあればこそ実現できるのでしょう。しかし、この曲は、やはり、私のこだわりの一曲となりました。

田部京子というピアニストは、このアルペジョを過剰な装飾であるとして、コチシュの編曲からあえてそれを除外して演奏していました。彼女の言い分も分からなくはありません。曲の精神の孤高さを維持するには、余計な装飾は邪魔なのでしょう。私には、このアルペジョが、ショートケーキの甘やかさに感じられます。ショートケーキも生クリームも身体には毒でありましょう。けれども人生には、毒と承知の上であえてそれを賞味したいときもあるのでは、と思うのです。

【メンバー日記】フィンランド♪


最近ちょっとしたきっかけで、
北欧の作曲家にハマっています
といってもグリーグじゃないんですよね~

シベリウス、カスキ、メリカント、パルムグレン

・・・そう、フィンランド!

フィンランド在住の日本人ピアニスト館野泉さんは有名ですが、
彼のピアノは昔から大好きでした
それが最近余計心に染みるんです
そう言えば10月の発表会で私が弾いたブラジル人ナザレーの曲も、
全音出版では館野さんが編集しているんだった
多分私は彼の感性が好きなんだわ!

交響詩「フィンランディア」で有名なシベリウス、
彼のピアノ曲は一流扱いはされないので、
世界的に著名なピアニストの演奏はあまりないのですが、
あえて言えばアシュケナージのものがありますね
(やっぱりアシュケナージは私の心の師匠)
館野さんとは全く違う演奏で、これまた興味深い
どちらが好きかといえば館野さん・・・日本人ならではかな

それにしても我ながら、今なぜフィンランドなんだろう?
北海道育ちの心に響くんだろうか
彼らの音楽には澄み切った冷たい空気を感じます、やっぱり
早朝にはダイヤモンドダスト、夜空には凍える月・・・

マイブーム、2017年はブラジルでしたが、
2018年はフィンランド?

(あ、リストも弾きたいです)

ああ、ピアノって楽しいですね(^^)/
来年もよろしくお願いします!

By C.S

【メンバー日記】ピアノの想い出(その7)


家を建てたのは50歳になってからでした。子供たちも成長し、ピアノの置き場も確保でき、ようやく環境が整いました。そんなある日、妻君が言いました。「あなたが弾くのは曲の切れっ端ばかり。最後まで弾けないの?」と。そのとおりでした。私が弾くのは気になる曲の好きなフレーズだけ、あるいは、聞きかじったポップスの一部を真似てみたり、とまさに「弾き散らかし」の状態そのままでした。私にはピアノを弾くモチベーションもなければ、何のためにピアノを弾くのかというコンセプトもなかったのです。

コンセプトは明確でなければならない。そこで、自分なりの方向付けを考えました。まず選曲が大事、そして最後まで弾き透すこと(つまり、弾けそうな曲を選ぶこと)、次に曲の全部を暗譜することの二つです。暗譜するのは、ピアノさえあればいつでも弾ける態勢、すなわち、常時のスタンバイ状態を維持するためです。

最初に選んだのは、坂本龍一の「エナジーフロー」でした。当時、「24時間、戦えますか?」のCMでこの曲が使われ、ヒットチャートの上位にセミクラシックが食い込んだと騒がれていた曲でもありました。これを手始めに、坂本龍一のBTTB(Back to the basic)も購入し、「aqua」と「intermezzo」の2曲を覚えました。今見ると、後者には1999.12.23の日付署名がされています。流れるようなフレ-ズの印象的な曲で、成程、ブラームスを彷彿とさせるじゃないか、と思ったりもしたものです。

坂本龍一は今も著名な作曲家ですが、当時はちょっとしたブーム状態にあったようで、ブームが過ぎ去るとともに私の興味も凋落したように思います。コンセプトはともあれ、曲に対する執着を維持することが大変、難しい。この当時はまだそれほど切実な自覚ではありませんでしたが、自分には決して多くの時間が残されていない・・・それは、物理的な時間ではなく、身体的能力も含めてピアノに関わっていられる時間は有限でしかなく、おそらく加速度的に短縮していくだろうという予感です。ともかく、あれもこれもと対象を拡げてゆくわけにはいかず、何らかの絞り込みが必要だろうということだけは当時の自覚でもありました。

そうして選んだ曲の一つが「別れの曲」です。日本で好きなピアノ曲を挙げてとのアンケート調査をすれば間違いなく10指に入るだろうこの曲を選ぶのは、あまりにもベタ過ぎかもしれないけれど、やはり、除くわけにはいきません。持っていた楽譜は学生時代に買った全音のピースで定価50円となっていましたが、ご多聞にもれず、初めの部分だけの切れっ端しか弾いておりませんでした。テーマが変化する中間部から「4度の林」を抜けて至る難関の「6度の森」は、この曲が本来、エチュードであることを再認識させるにふさわしく、楽譜を見ただけで「これは無理」と諦めておりました。しかし何であれ最後まで弾くというコンセプトに従っておそるおそる手掛けて見たところ、両手を突き出すように差し出すという独特のパターンを掴みさえすれば同じ所作で全部を処理できるということに気づき、ある日、「森」を通過することができました。

この曲の難しさは「森」に限らない。最初の部分で、右手の1、2指を抑制しながら3、4、5指で旋律を浮かび上がらせる、つまり自然に反して指を制御する必要があるという無理無体な注文もあるわけですが、ともあれ「森」を抜けた嬉しさで、当時私は、楽譜全体を掌大に縮小コピーしたものをマスコットとして持ち歩いていたものです。

今現在、この曲を弾くことはできませんが、生涯の10曲を選ぶとすればおそらくその中に入ってくるはずの一曲です。私は、これをコレクションであると捉えています。世の中には、様々な嗜好のもとで様々なコレクションがあるわけですが、これは、決してお金で贖うことのできない特別のコレクションであると、私は考えます。

【メンバー日記】椅子の高さ考⑤


少し空いてしまいましたが考察。。
核心部分なので長くなりますが、ご容赦いただければ。

ここまでは椅子の高さって実はプロでもいろいろ、というお話と、
高い・中間・低いそれぞれの代表選手(?)を挙げ、
それぞれの高さにおけるメリット、デメリットをざっくり書きました。

そして、メリット・デメリットについて掘り下げていきます。
・・・と締めくくっていましたが・・・
いわば「低い椅子派」である私が、他の高さについて書くのも、
おこがましいと言いますか、やはり餅は餅屋。
低い椅子について書く上で、
比較対象として他の高さをチラ見せするにとどめます。
願わくば、この一連の日記に対する議論が起きて、
非自己の世界にも耳目を傾ける人が増えますように。。

ではまず、私が論拠としている基本条件を挙げます。
①脱力
もはや使い古された言葉ではありますが。
速く動かしたい、もっと大きな音を出したいと思うほどに力んで、
速く動けない、響きの悪い音しか出ない、故障する。
そして何より、疲れて楽しくない!

疲れ・動きの束縛・響かない痛い音。
力んだため、加速方向だけでなくブレーキ方向の筋肉も使用してしまうためと、
ピアノの構造上、打弦後に力を加えても音の変化はないのに
精神ありきで鍵盤を底まで押し込み続けてしまった結果だと思います。

②アーチ構造
A.鍵盤に最も力を加えるには?
  打弦まで最短距離の動きをするなら?
  答えは鍵盤に垂直に打鍵する、でしょう。

B.では、もし背骨がまっすぐだった時、歩いたら頭はどうなるでしょう?
  衝撃が頭に直接通じて、悪酔い・・・で済めばよいのですが。
  膝を曲げずに走るだけでも、この衝撃の片鱗は感じられると思います。

C.鍵盤を押し下げるには、どれくらいの力が必要でしょう?
  押す場所にもよりますが、50g前後という話です。

何が言いたいのかというと。
α:力を伝えるのは大事ですが、Cという事実があるうえで、
Aという方法でなければ鍵盤を十分に動かせないのでしょうか。
β:衝撃が分散されずに伝わった時のダメージ、どこが引き受けるんでしょう。
という2点です。

アレクサンダーテクニークなどの本にも書かれていますが、
指の各関節から手首まで、肘から先の全関節でアーチ構造を作って、
衝撃は分散させつつ、力を伝えられるようなフォームにしましょう、
という意見を採用しています。。

ではまず、指以外が固定された場合の、可動域を見てみます。
(素早いパッセージで、毎回手首や肘、肩を上下させる打鍵をする人はいないと思うので)
椅子が低いポジションで指を伸ばした場合、指は最も鍵盤から離れます。
(手根骨から中手骨までの部分が上を向いているため)
同様に指を曲げていくと、指が上下方向に動く範囲は最も大きいことが分かると思います。
この可動域の広さの中で、指をどれだけ曲げるか等バリエーションをつけて、
打鍵の強弱や質を調整します。

次に打鍵ではなく、離鍵方向の動き。
高いポジションの方が、筋が強く浮き出す(より大きな力を必要としている)と思います。
このため、ノーマル状態で指が上がりやすい形をとりたい時に、
低いポジションは有効だと思います。。

また、広い音域をとる場合。
おそらく皆さん、一番広げて何度届くか試すと、
手首の位置は鍵盤と同じくらいになると思います。
この時ひじが鍵盤より下のポジションだと、
アーチ構造を保った状態で取ることが可能です。

最後にアーチ構造を保った状態で、
鍵盤に対して指の接地面を変更できる範囲。
椅子が低いパターンが、最も指の腹~指先までの選択肢が広いと思います。
これを用いて、指の曲げ方で音質の調整をします。

以上、ここまでがメリットである、
「脱力を重視しつつ、アーチを保った状態で、
手首から先だけの動きから得られる選択肢が最も広いですよ」
という主張でした。
ではデメリットは?

既出ですが、楽譜から目が遠い。
目をつぶって弾ける人はよく聞きますが、
目を閉じて初見が出来る人、お会いしたことがありません。。
まあ、視力の弱さからくる問題点ですが・・・。

同様に目線が低い(鍵盤と目の位置が近い)ので、
鍵盤の端から端まで目線を送るときの角度が広い。

また、鍵盤の両端に手を置く時。
高いポジションだと大して腕を上げなくても届きますが、
低い場合・・・遠い・・・

そして位置エネルギーは最も低いので、
打鍵方向の筋力は最も必要となるでしょう。

・・・あと・・・見た目の奇抜さですかね・・・;;
(ついでに、そこからくるプレッシャーもあります)

今回は一般論におけるメリット・デメリットまでで。。

【メンバー日記】未来はあと15年?♪・・地元のスタジオイベントに☆


地元(隣の市)の音楽家の方が企画された、イベント(浦安音楽ホール)に参加しました。

新しいホールなので、ガラス貼りのスタジオがとても綺麗、眺めも良いです。浦安市の広報?で、告知されていたらしく、初回にもかかわらず、市民らしい聴衆の方が、10名以上、来られて聞いて頂いてました。

ここは、新浦安駅の隣、という場所で、駅隣の大きなモール街の中になります。
下の階には飲食店もあったりして、休日、買い物に来た家族ずれも気軽に寄れる、と、立地条件が良いせいもあり、勿論、無料のイベントという企画なので、家族で来ている聴衆が殆んどで、雰囲気はアットホーム。

最後は、主催者とプロのピアニストの方の、短い演奏もあって、良い企画だったと思います。

未来はあと15年位?になるけど、少なくなって行く人生が豊かになったと感じられて(笑)、また、
主催者の方は、私と同じ街の住人の方とわかって、参加出来て良かった!。

(主催者の石橋様、ありがとうございました。)

【メンバー日記】ピアノの想い出(その6)


中学生のころか、あるいは高校生のころか、いつからをそう呼ぶのか正確には知りませんが、日本は高度経済成長期に入りました。世間一般が豊かになりました。ピアノの価格も上がりましたが平均物価に較べれば相対的に安くなって、普通の家庭にもピアノが普及し始めました。そんな中、卒業期にあたって大学紛争が勃発しました。授業が行われなくなり、構内が封鎖されたため、暫くの間、実家での待機を余儀なくされました。実家にいても所在なく時間をもて余しているかに見えた私のために、父はピアノを買ってくれました。これが、私の初めてのピアノです。しかし結果的に、このピアノは有効利用されませんでした。滅多に帰ってこようとしない息子を少しでも長く留め置こうとしたのかもしれない当時の両親の心情に想いを馳せたとき、私は今もなお胸の痛みを禁じ得ない。

自分でヤマハのアップライトを購入したのは、それから何年かたって就職し、さらに1年が過ぎたころでした。独身寮の1LKに置いて、職場の仲間を誘い、ピアノパーティと称して合コンまがいの催しをもったのもこの時代でした。が、このピアノもわずかな期間しか使われていません。

結婚が決まって世帯寮に移る際、私は、件のピアノを知人に下取りしてもらい、そして、ヤマハのG3を購入したのです。こうして、3台目にして漸くグランドピアノを持つこととなりました。思い切った意気込みでしたが、実際のところ、それもかなりの早計だったと言わざるを得ません。団地形式の宿舎に弱音器の付かないグランドピアノを設置しても、気ままに弾くというわけには、なかなかいかない。その内、子供が増えるにつれ、部屋が狭くなっていき、布団の裾をピアノの下に敷いて寝たこともありました。ピアノは、買えば済むというようなものではなかったのです。それなりの環境が必要でした。ピアノは、次第に、場所を塞ぐただの置物と化していきました。

オマエハ、イッタイ、ナニヲシテルノカ?・・・と反省すべきだったでしょうか。子供のころのピアノへの憧れと手の届かなさが、私に心理的な飢餓感を植え付けていたのかもしれません。「グランドピアノ」を手に入れたことは、そのころの自分に何かしらの達成感をもたらしていたようにも思えます。ピアノはそこにあるだけでよく、つまりそれは、私の「アイデンティティ」であった・・・と今にして思うのです。

【メンバー日記】この季節恒例の練習スタイル


椅子の高さから、変な目で見られていると思いますが、
普段の練習スタイルも比較的変わっているという自覚はあります。
しかし色々、背に腹は、というものもあるんです・・・

そろそろ、10℃を切りますね。。
寒いと故障が増えますので、無理のない練習を。。

私は温かな飲み物と着ぶくれ、足元毛布で乗り切りますTT

【メンバー日記】椅子の高さ考④


いよいよ最後のご紹介。
「鍵盤より肘を低くする」です。

少数派なので、挙げる人にもっとも迷いますが・・・
おそらく一番低いであろう人を挙げさせていただきます。

「変人で天才」、Mr.グールドです。。

まず用意するのは、特注の椅子。
座面までの高さは30cm±α。

何気なく普段の感覚で座ろうとしたら、
おそらく後ろにコケるでしょう。

(私も今より椅子が高かった大学時代、普通のピアノ椅子ですが
座面を一番下げていて、交代したとき次の人がコケそうになり、
怒られた記憶があります…。
「そんなこと言ったって、仕方ないじゃないか」~À la manière de ENARI~)

特徴は手(指)が脱力しても上を向くことと、
「手首から指までのアーチを保った状態で」鍵盤に対して
指を寝かせる~立たせることが出来る点などでしょうか。

もっとも横に腕を拡げる時は広背筋など肩回りの筋肉をかなり使う、
ホームポジションが低いので同じ加速距離(指のです)で
同等の音量を出すのに最も筋力を必要とする、
見た目からパフォーマーまがいと揶揄される、などの不利な点も。

・・・あれ、デメリットがとっても書きやすいぞ・・・?

ならなぜやるのかというと、デメリットを補って余りある(と思う)
メリットがあるからです。
(最高の音を目指す以上、見た目は一番最後ですから
パフォーマー云々の雑音は無視いたします)

これからはそれぞれのメリット、デメリットとその理由について、
あくまで独断・偏見で書いていこうと思います。

最後にピアニスト達の椅子の高さがわかる画像を、
切り張りしてまとめたものでも張り付けておきます。
~グールドも10代前半の頃は、あの椅子の高さじゃなかったんだなぁ~み〇を