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【メンバー日記】椅子の高さ考③


前回に続き、演奏時の椅子の高さ、3回目です。

今回は肘の高さが鍵盤と同じくらい、
中間について触れてみます。

この弾き方で有名と言えば、やはりこの方。
ショパン先生のご登場です。。

背筋を伸ばして、ボウリングの玉なみに重たい
頭の重量を背骨のカーブで受け止め、
座骨から椅子へと伝えて身体を支える。

その上で腕の力をダランと抜き、
肘を直角になるくらい曲げて、手が鍵盤の上に、
自然なカーブを描いて乗る高さ。
柔らかく、柔らかく。

恐らく、体格が今くらいになってからで考えると
このポジションで弾いた時間が一番長いです。
(ではなぜ、そこから外れたか?は後ほど)

独断と偏見による感想は、
『ザ・ホームポジション』。
無理がなく、どのような形もそれなりにやり易い。。

可もなく不可もなく、
もしくは何でも来い。

確実に言えるだろうことは、
どんな体格、筋力でも無理がなく、
一番長く弾いていられる
(練習できる)ポジションだという点です。

【メンバー日記】椅子の高さ考②


前回に引き続き。

椅子の高さ、人それぞれです。
では実際に、プロを含め椅子の高さ、どのようになっているでしょうか?
前回も触れましたが、肘の高さは鍵盤に対してどのくらいでしょう?

なんだかんだ言っても、現代日本は非常に恵まれているので、
過去の大演奏家の映像などが見放題、勉強し放題です。

その中で
①椅子の高い人の急先鋒と言えば(独断と偏見で)リヒテルでしょう。
ネイガウス派と言われるだけあって、同門の
スタニスラフ・ネイガウス(ブーニンのお父様)も椅子(肘ポジション)高いな、
というのが印象的です。

スタニスラフ・ネイガウスも大好きなピアニストなので、
いろいろお話してみたいネタではあるのですが、ここでは置いといて。

リヒテルいわく、
「高いところから鷹のように音楽を見下ろして、全体をつかむ。」
とか。(出典は記憶ないですが、そう記憶してます・・・)

実際にやってみた感じですと、
1.楽譜が近い
 私のように目の悪い人には超重要事項と言えます!
 (試した最初の感想:「楽譜が見える(@@)!!!」)
2.鍵盤の全体を、見るとはなし見るのに、比較的意識を必要としない
 そもそも鍵盤から目が遠くなるので、
 比較的意識しないでも鍵盤全体が見えます。
 もし弾く曲が鍵盤上に見えるタイプの人であれば、
 それこそ「音楽」が眼前の支配下にある状態、になるのでしょう。
3.強い音が出(し)やすい
 これは好悪の分かれる範囲でしょう。
 (残念ながら私は好きになれません・・・。)
 元々の高さが高いため、ゼロベースから上げるエネルギーは少ないです。
 つまり、位置エネルギーが大きい状態で開戦する、と。
 あくまで個人的にですが、上からのエネルギーを多用すると
 鍵盤が底を打つ音がうるさく感じてしまうのと、
 弱い音を出すときの指の角度がつけにくい点でしょうか。

長くなりますので、次回は②の鍵盤と肘の高さが同じくらい、に触れたいと思います。。

【メンバー日記】ピアノの想い出(その5)


この頃の想い出の曲の一つに、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲:第18変奏」があります。これは、私が小学生から中学生にかけて毎週日曜日朝9時頃からNHKラジオで放送されていた「希望音楽会」の始まりのテーマでした。あまりにも有名な曲ではありますが、私がその曲名を知ったのは、ずっと後になってからでした。余談になりますが、当時、立体音楽堂という番組があり、NHKの第1放送と第2放送を使ってのステレオ放送が毎週行われておりました(無論、ステレオオーディオ装置などというものはまだ存在しません)。「2台のラジオを置いて別々のチャンネルに合わせ、その前にカーテンを掛けて、音楽ホールの雰囲気をお楽しみ下さい」というわけで、私宅でもどこからか別のラジオを持ち込み、カーテンこそ掛けませんが、神妙に並んで聞き入った記憶があります。

第18変奏曲は、フィギュアスケートでも度々用いられてきましたが、もっとも効果的に使われたのは、映画「スーパーマン」を演じたクリストファー・リーフ主演の「ある日どこかで」という映画だと思います。B級映画との酷評もされましたが、私にとっては忘れられない映画の一つです。そういえば、ジョン・バレーが作曲したこの映画のメインテーマも非常に印象的な名曲であると思います。

ともあれ、この第18変奏は、私がどうにかして弾いてみたい曲の一つでした。そこで、新装なった上野の東京文化会館の資料室に通ったものです。今もありますが、ここは音楽関係の図書館であり、楽譜の貸し出しや試聴を行っておりました。そこへ自分で引いた五線紙を持ち込み、借り出したスコアから有名なピアノ独奏部分の楽譜を筆写しました。

練習用のピアノは様々な方法で調達しました。大学の音楽部の部室に入り込み、空き時間のピアノを借用したり、楽器店が経営していた狭いピアノスタジオを借りたり、時には、ピアノのあるお宅に下宿していたこともありました。

ただし、筆写したのは第18変奏の内、ピアノが独奏するごく短い部分だけです。全部を弾きたかったものの、本来は協奏曲なのでピアノソロ用に編曲された楽譜を探さなければなりません。しかし、適当な楽譜が見つかりませんでした。後年になってヤマハショップで尋ねたところ、アメリカ版が発刊されているとのことで、ではそれをと言うと、「上級と並みがありますが?」と、まるで「上天丼にしますか、それとも並み天丼?」と問われたかのようで、「では、上天丼を」と注文しました。あまり難しいのも困りますが、易しい編曲は往々にしておざなりでつまらないものが多かったからです。1週間もして届いた楽譜の価格は1.85$でした。アメリカ人による編曲で、割合いと原曲の雰囲気に忠実でしたが、惜しいことに、それはニ長調に移調されたものでした。今では、プリント楽譜で、久木山直氏による原曲通り変ニ長調での編曲版が発売されています。

後半部で複雑なコードが徐々に下降してゆくこの曲を苦労して暗譜はしたものの、しばらく弾かないままに、もはや忘れてしまいました。再度、覚えなおしたいと思いますが、記憶力の低下に悩まされる昨今で・・・。

【メンバー日記】ピアノ椅子の高さ考①


唐突ですがピアノ椅子の高さについて、ふと書いてみようかと。

PH会で私が弾く(一種、異様な)姿を見た人は、
「あぁ・・・まあ、一家言あるんだろうね」
と冷笑する方もいるかもしれません(TT)
しかし良い悪いは「世間一般の常識」で判断するものではなく、
『自分に合っているか』『その人に合っているか』で判断していく方が
様々な世界への扉を開いていけるのでは、と思うのです。。

そもそもピアノの椅子、皆さんはどんなものをお使いでしょう?
市販の有名どころ(?)では、
背もたれ付きで高さ調節が段階式のものと、
背もたれ無しで横幅が広く、高さ調整がねじ式(無段階式)のものでしょうか。

近年、高さ調整が(たぶん)油圧式の椅子が出て、
素早く微調整できる利便性(と座り心地?)から人気を博しているとも聞きます。

さらに有名な小話として、
あるピアニストが演奏前に椅子をさんざん上げ下げし、
仕舞には「客席のご婦人、そのプログラムを一部お貸しいただけますか?」
と言ってプログラムを敷いた上に座っただの、
「君の尻を1インチスライスしようか?」
と指揮者が言っただの。

プロピアニストに対して、かなりネタ色が強いものの、
肯かざるを得ない揶揄を含んだお話、あります。
(そのピアニスト自身も、それをネタにしている部分がありますし)

しかし弾く時の高さ、(私としては特に)重要なものです。
それぞれの高さにメリット・デメリットあると思いますが、
この高さが良いと、誰が決めたのでしょう?

どうせ弾くならうまく弾けるようになりたい。
あのピアニストのように、自由自在に弾いてみたい。
じゃあ、そのピアニストの椅子の高さは?
(正確にはピアノと椅子の距離、椅子の高さ、姿勢で変化させているものですけど)

その人の身長(とか座高)にもよりますが、
ざっくり3種類、奏者の肘が鍵盤より、
①高いか、②同じくらいか、③低いか、です。

繰り返しますが、それぞれにメリット、デメリットがあります。
その上で、自分なりに考察(という名の言い訳)できたらと思います。。

【メンバー日記】未来はあと15年?♪ 鮮やかな紅葉の中をガイドして☆


一昨日は、珍しく暖かい上に、快晴。風もなく最高の天気で、ひと月振りに、ボランテイアのツァーガイドに行ってきました。

たいていは、土曜日に、ボランテイアグループで、東京駅前に集まった、ツーリストの人達を、皇居東御苑に案内しているのだけど、この日は、ボランテイアメンバーの希望もあって、平日の朝から、お昼にかけて、ご案内して、解散後は、あまりに好天なので!、北の丸公園を散歩して来ました。

珍しいくらいの好天に、イチョウや桜、ケヤキなどの紅葉が、鮮やか。
ツーリストでも、マレーシア人の女性たちは、紅葉を見たことが無いので、たくさんの紅葉に驚き、特に、二の丸庭園は、小堀遠州の設計だけあって、紅葉の季節には、横山大観の絵から切り取ったような、素晴らしい景色なので、歓声を上げて、盛んに写真とっていました。

こんなに喜んでもらえると、ご案内して良かったと実感できて、今年、高齢者になって、未来はあと15年くらだけど、少なくなっていく自分の人生が、豊かになった感じで、気持ちが和やかになりました。(*^。^*)

次の日は、一転、雨勝ち、曇天。急に悪天気に変わると、”今日行く先”、に悩んで切ないのが高齢者の日常(笑)。

夕方に、以前いったことのある、趣味でやっている?、喫茶店に行くと、悪天気にお客さんは無し、だったので、ピアノ弾かせてもらってきました。

ここは、オーナー夫妻(わりと資産家?らしい)が、地域の人のために始めたらしいけど、先月、5周年、とか。で、あまり流行っていそうもないのに、結構、長続きしている。喫茶店経営、って不思議なものでもありますね☆。

https://www.youtube.com/watch?v=-9DdL3KtjME

【メンバー日記】ピアノの想い出(その4)


転機が来たのは大学生になってから。大学に進学した私は、ある日、高校時代のクラスメートと旅に出ました。そこで、たまたま旅先にあったピアノを私が適当に弾いてみたそのとき、友人は何かを心に留めたようでしたが・・・それから3年後のことです。友人は、私の前でブラームスの「インテルメッツオ」を弾いてみせました。おそらくその間の3年間を独習に費やして全く我流で練習してきたのであろう彼の指使いは、私の目から見てもぎこちなく、いかにもたどたどしく映りました。がしかしその演奏は、正しくブラームスそのものでした。そして、私は知ったのです。本当の音楽というものがあるのだということを。別に下手な演奏で好いというつもりはありません。それは上手な演奏が好いに決まっている、にもかかわらず、私は彼の演奏に心を打たれました。

一体、どうして僕らは音楽に感動するのでしょうか。よく分かりませんが私は、そこには少なくとも二つの要素があるだろうと思います。ひとつは、「物理的な音響の調和」から生まれる心地よさです。そのためにはある程度上手な演奏が必須となりますが、上手くさえあればそれでよいというわけでもない。例えば僕らは、高度なピアノ演奏の技術に感嘆はするけれども、感動するかといえば、それはまた別問題です。ミスのない完璧な演奏が好いのであれば、ロボットに弾かせればよい。実を言うと、ユーチューブなどでピアノ演奏の音声だけを聞いたとき、私は、それが例えばパソコンによる演奏なのか、人が実際に演奏しているのかを識別できる自信がありません。あまりにもミスや揺動が無い時、パソコンじゃないだろうかと疑うだけです。そして、一体、ロボットの演奏に感動させられてよいのだろうか、という疑問に苛まれてしまいます。

もうひとつは、「環境を踏まえた人との関係性」です。具体的に言うならば、例えば映画やドラマに使われるBGMとしての音楽です。この場合、同一の曲であっても、それを単独で聴く場合に比べて、感情を揺さぶられる効果が圧倒的に違ってきます。これを、純粋に音楽に対する感動と言ってしまってよいのかという問題は残りますが、これは前述の第一の要素よりもずっと人間らしいと感じられます。

つまり、何を言いたいかというと、技術的要素は重要であるけれども、それが絶対ではない、ということです。その重みは人によってさまざまでしょうけれども。

話が逸れましたが、さて、彼の演奏を聞いたからといって、そこで私がピアノに目覚めたかと言えば、そういったわけではありません。ただそのとき、私は自分のその後の人生にピアノが関わってくるだろうということを予感したに過ぎません。発奮して、ピアノの練習でも始めたのかと言えば、それもナシです。だいいち、私の生活の場には、自由に使えるピアノがありませんでした。

【メンバー日記】ピアノの想い出(その3)


ピアノ教室での教材は、お定まりのバイエルからです。バイエルの最初の音符は中央のハではなく1オクターブ上のハに右手の親指を置いて「ドレドレドレドレドー」に始まります。学校の音楽では、ほとんどのメロディーが中央ハからの1オクターブ内に収まっているので、たったこれだけでも新鮮な印象が得られましたが、次の段階で、左手でファミファミ、右手でシドシドを同時に弾いたとき、自らの指が醸しだした玄妙な和声の響きにたちまち魅了されてしまいました。

ピアノには到底、手が届きませんが、父は48鍵の小さなオルガンを買ってくれました。いくらだったかは知りませんが、おそらく、数千円程度の物でしょう。このオルガンはつい最近まで実家の隅に残っていましたが、残念なことに処分されてしまいました。瞬く間にバイエルを終えて、主教材はバイエルからソナチネへと進み、その間の副教材としてメトードローズ、チェルニーが用いられ、運指練習のためにハノンが与えられました。ブルグミューラーを使う先生もいたようですが、私は経験がありません。今の発表会ではギロックなどがよく出てきますが、当時は聞いた覚えがありません。

オルガンとピアノではまるで弾き方が異なりますが、それでも、読譜や運指の練習が不可能というわけではありません。しかしそれも、ソナチネまででした。ソナタに進むと、これはもう無理です。中学1年生の終わり、2巻分のソナチネを終えて、ソナタの教本を渡されたころ、私はすっかりピアノに嫌気がさしていました。だいいち、先生は、私にペダルの使い方を教えませんでした。たとえ教えてくれたとしても、それをオルガンで再現することは不可能です。ペダルが無くても、ソナチネは弾くことができます。しかし、ペダル無しで弾くソナチネの味気無さには、いかに中学生と雖も耐えられませんでした。ソナチネの中にも、音楽的魅力を備えた曲が若干はありましたが、そうはいってもソナチネはソナチネ、子供だましにすぎない(と、当時は感じておりました)。

結局は4年足らずでピアノ教室をやめ、ピアノへの興味も失くしてしまいました。

【メンバー日記】ピアノの想い出(その2)


ピアノ教室の月謝は、当初、週2回のレッスンで250円だったように思います。教室とはいっても近所の小さな長屋の一軒であり、ご近所なので多少、割り引いてくれたのかもしれません。同じ学校でピアノを習っている子供は、大抵、この先生のところに来ていましたが、それは概ね、裕福な家の娘らでした。世間一般が貧しいとはいえ、やはり、お金持ちはいたのです。

ピアノを習い始めたおかげで、私も5年生になる前に器楽クラブに入ることができました。当時のことですから合奏の中心はハーモニカと木琴であり、その他に打楽器やアコーデオンが混じります。その中で異彩を放ったのは、やはりピアノでした。そして、ピアノ演奏でクラブ専属のように振る舞っていたのは、一人の少女でした。彼女は私と同学年で、同じピアノ教室に通っていましたが、教室の中でもトップクラスのピアノ巧者でした。私は、合唱祭で彼女が伴奏した「荒城の月」の前奏の華麗さに啞然とした想いがあります。彼女は、なかなかの美少女でもあり、僕らマセ餓鬼の憧れの的でしたが、おまけに彼女の家は学校でも随一のお金持ちでした。一度、彼女の家に行く機会がありましたが、立派な応接室にピアノが置かれてありました。しかしですね、それは当然のようにアップライトピアノであって、当時は、プロでもない個人がグランドピアノを所有することなど想像にもおよばないことだったのです。

年に2度は発表会もありました。その内の一度は、中の島の大阪ガスのホールを借り切って催されたもので、当時としては贅沢なものでした。この時ばかりはと少女たちは、バレーの衣装かと見まごうばかりの白いドレスで着飾ります。学校での質素な身なりを見慣れた目には、別の国かと思うほどの華やかさに映り、童話の世界に紛れ込んだかのような錯覚に襲われました。エルメンライヒの「紡ぎ歌」などの定番曲が続く中で、いつの発表会でも必ず誰かが演奏して私の心に強い印象をもたらしたのは、デュランの「ワルツ」でした。全音のピースにも残るこの曲は、暗い会場をバックにした強い照明の中から急調子でホール全体に鳴り渡り、その中に短調の悲哀さを混じえた響きが、少年であった私の心に甘やかさを含んだ悲しみの感情を引き出しました。こうした経験が、後年に至っての私の精神に軟弱さを培った要因でもあったのだろうと、今になって思い当ります。

【メンバー日記】ピアノの想い出


2017年10Aの初台での練習会に初めて参加しました。年齢の離れた若い方がほとんどで少々場違い感も否めませんでしたが、じきに打ち解け、思いの他、楽しい時間を過ごすことができました。ピアノとの係わり方も様々ですが、いずれの方も、ピアノを愛し、それぞれの形でのこだわりを持っている様が窺えました。何の参考にもならないとは思いながらも、この年齢になって、昔のことを少し話してみたくなりました。

私は、戦後すぐの昭和21年11月、大阪に生まれました。いわゆる団塊の世代は私よりも1年後から始まり、「三丁目の夕日」の鈴木一平君も1学年後輩に当たります。時代はまさしくあの映画のままで、世間一般が貧しく、ピアノがある家庭は珍しい存在でした。大阪ですから出前のきつねうどんをよく取りましたが、これが一杯30円だったと思います。当時の流行歌に「僕の月給、1万3千8百円・・・」というのがありました。デパートに並べられたメーカー名も分からない最安値のアップライトピアノが9万5千円でした。現在の物価が約20倍だとすれば、その高額さが想像していただけるでしょう。私の家庭は周りに較べて貧乏というわけでは決してなかったけれども、無論、ピアノを購入することなどあり得ませんでした。

そんななか、私が小学4年生のとき、母親が私をピアノ教室に入れました。9歳上の姉をさしおいて私だけにピアノを習わせた理由は分かりません。当時の小学校にもクラブ活動がありましたが、クラブに参加できるのは5年生以上です。ところがピアノが弾ける子供は特別に4年生でも器楽クラブに入ることができました。ピアノが弾けることは一種のエリート資格とみなされたわけで、それゆえに母親の見栄が働いたのかもしれません。

【メンバー日記】未来はあと15年?♪・・昨日はイベントのあと☆


昨日は、ヤマハ銀座店のイベントのあと、こちらの”ドッグトイ”(笑)カフェで、一息、リラックスしました。先月、オープンしたばかりとのこと。
三越のすぐ近く、立地と分雰囲気が良く、ピアノがあって、イベントの予定があるそうです。
陛下のニュース画像が、写ってしまって、すみません★。不敬罪?(笑)。大きなモニターテレビがあって、そちらの方向を撮ったら、映ってしまいました。
ワンちゃんの、ぬいぐるみと、写真撮ってもらいました(笑)。店内は、ぬいぐるみが一杯。チーター?もありましたね(笑)。
これから冬場、銀座によることがあったら、ここで、一息できそうです~(*^。^*)。

http://kutsurogi-cafe.co.jp/

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