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【メンバー日記】たぬきとピアノ

メンバー日記

なつこさんが「犬とピアノ」というタイトルで日記を書き、それに対抗してJinさんが「猫とピアノ」なる日記を書かれた以上、残るは「たぬきとピアノ」において他あるまい。

たぬきは鈍重だがどこか憎めない。狐にくらべて愛されるキャラだ。

1歴史上の人物でたぬきといえば、神君・徳川家康である。信長が果敢に時代を切り開いたパイオニアだったのに対し、その点家康はいまひとつぱっとしない。

新たな時代を切り開くためには、返り血をあびてでも旧来の既得権益をぶち壊し、歴史の時計の針をすすめる必要がある。比叡山焼き討ち等後世からはとかく悪評高い人物だが、信長によって時代が中世から近世へとうつったのは事実だ。歴史はときにそういった天才をうみだす。面白いのは、天才とともに対となる秀才が共にライバル関係でセットになっていたりする。

天才肌(信長)が狐であり、対をなす如才ない秀才タイプ(家康)、狸。

写真2の説明ピアノでいえば、リストとショパン。スクリャービンとラフマニノフ。ドビュッシーとラヴェル。より音楽史全体でいえば、ワーグナーとブラームス。プロコフィエフとショスタコーヴィチ。現代でも、武満徹と三善晃・・・とかになるのだろうか。

直感的に、以上あげた作曲家セットの前者が天才、後者が秀才となんとなくイメージしている。

音楽作品というものが、形式と表現であるとするなら、天才は新たな形式を世にしめす(もう古い形式だと表現しきれないで歴史が行き詰まる時、天才が突如としてあらわれ一気に局面打開がはかられる)。その後を続く秀才がその形式を活かして自らの表現をそこに注ぎこむ。


写真3の説明これら天才タイプの作曲家は、たとえ親しみやすい作品であったとしても、「なんとなく得たいが知れず不気味」だったりする。要は作品から作曲者の肉声というか、素顔がヴェールに包まれた感じで正直よくわからない時がある・・・そんな感じ。あなたの日常でもまわりにいませんか? なんか爬虫類っぽい人とか、頭いいんだろうけど近寄りがたい雰囲気天才肌のひと・・・

実際のラフマニノフにせよ、ブラームスにせよ、ラヴェルせよ、実際に会ったとしても彼らは決して社交的でないだろうし、むしろ厄介な性格の人かも知れない。だけど、決してきっと悪いひとではないだろうとは確信できる。口数すくないかも知れなけど、同じ哺乳類のあたたかい体温を持ってるかんじ・・・。かりに晩年の孤高で内省的な作品であったとしても、人間的な弱さに見える部分さえ心から共感できるし、ときに愛嬌とさえ感じられる。

音楽史の評価では二番煎じだったかも知れないが、どっちかというと私は愛嬌あるたぬきが好き。結局その作品が愛され共感されてなんぼ・・・と思うのだ(だから天才はつねに悲劇的だ)。

似顔絵りょ

また練乳かった


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