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【メンバー日記】愛の悲しみと舟歌 ★秋の音楽鑑賞文♪


メンバー日記

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二つの楽曲、「愛の悲しみ」と「舟歌(ショパン)」を題材にして、音楽が含む感情的な要素と愉しみについて、主に書いてみようと思います。そんな小難しいことを、となんて言わずに、主に個人的な感想に過ぎないですから、まあ、さらっと書きますのでちょっとお付き合いください(笑)

皆さんはご存知かと思いますが、「愛の悲しみ(Liebesleid )」という、フリッツ・クライスラーというヴァイオリニストが作曲した楽曲があります。元はヴァイオリンの曲なのですが、ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 などで知られる作曲家兼ピアニストの、セルゲイ・ラフマニノフがピアノ向けに、これを編曲したピアノバージョンも存在します。ここはピアノの会なので、ここでは、ラフマニノフのピアノ編曲版の方について扱うことにします。
最近、アニメや映画にもなった漫画「四月は君の嘘」でも、このピアノ版の愛の悲しみが登場しました。哀愁のある、ちょっと切ない雰囲気の小曲です。

一方、バルカローレ(舟歌)は、先程のラフマニノフをはじめ、多くの作曲家が作曲した同じタイトルの曲が存在しますが、ここでは、ショパン作曲のピアノ曲の「バルカローレ(舟歌)」のことを指しています。

愛の悲しみ、ショパンの舟歌のどちらも、僕の大好きな曲です。ショパンの舟歌に至っては、この曲を子供の頃に聴いたのを思い出したことがきっかけで、ピアノを再開したほどです。自分でこの舟歌を演奏することが、自身のピアノ演奏における最終目標の一つになっています。楽しみです。

これらの二曲は、YouTubeなどで検索すれば、いろいろな演奏を聴くことができるので、わからないという方は、ちょっとそれを観てみてください。

 

ここで本題です。唐突ですが、個人的な感覚では、この二つの楽曲に、共通する底に流れるエッセンスがあると思っています。これは一種の関連性を持つということでしょうか。
その、二曲に流れる共通のエッセンスの中に、大半を占めていると、僕が感じている感情の要素があります。それらは、別離の哀しみと、悲喜こもごもの感情の揺れ動きと、最後に残る喪失感の三つです。(演奏によって多少の意味合いのゆらぎが生じはしますが)
その三つの要素を、順に列挙して説明しましょう。

 

一つ目の「別離」は、恋人でも、家族でも友人でも、何らかの関係のある大切な人との別れを意味しています。これは、愛の悲しみの方に顕著に表現されているようです。

二つ目の「感情の揺れ動き」は、喜び悲しみなど全てひっくるめて、人との心の距離が近づいたり、離れたりして、自身の心の様子が、ゆらゆらと水面のように揺らめくことです。
僕は、それは相手に愛情を抱いているが故の心のはたらきの露われである。だろうと考え、感じて、人の心の常として、やはりそのことであろうとの結論を得ました。要は、好きだけど、何故かつらい。みたいな感じ、というと分かりやすいでしょうか。これは、別離に至る過程のシナリオの一部として捉えてもいいかもしれません。

このことについては、愛の悲しみでは、題名そのものといった感じで表現されているようです。何故かつらい、ということそのものを表しているのでしょう。一方、舟歌では、ひときわ、心の揺らめきが、揺らいできらめく水面のように見事に表現されています。こういった心のはたらきの類の表現は、両者共に、切実で凄まじいものがあります。

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そして、最後の三つ目の、「喪失感」です。これは、自分の身体の一部を失ったような、または自分の中の世界の一部を失ったような、どん底の闇に堕ちたような、と喩えられる、苦痛を伴う空虚な感覚として感じられる感情の一種です。きっとこれは、心に穴が開いたような、などとしばしば表現されることがらでしょう。これは、先ほどの別離によって引き起こされたものだというのは明らかですし、それ自体は、別離による哀しみのことそのものであるといってもいいでしょう。

そしてさらに、当たり前のことですが、喪失感は最後に残るものです。なぜならそれ自体は、何かが失われたことによる結果にしか生じ得ないもの、つまり、前段階のプロセスを経ていった結果として、最後に生じて、置いてけぼりにされた感情だからです。

この喪失感については、愛の悲しみでは、失うことへの恐れや悲しみのように表現され、それらの感情は自分自身に向かっていく様であり、舟歌では、ストレートに寂しさや、行ってしまった感や、それに対する諦めとして、遠くを見つめるような表現がなされていることが多いようです。

さらに、もう一つ付け加えると、この二曲の両者には、一番最後に必ず救いがあることです。

愛の悲しみでは、「なんでこうなってしまったのだろう。でも、これでいいんだ、もう、しょうがないか」と。舟歌では、「まあ、しょうがないよね、これでよかったんだ。悲しいけど。」といった趣きがあります。これらは同じような意味合いでしょうか。どちらも最終的には、前を向いていますね。中心にあるものはポジティブです。ある種の救いがあります。
暗い気持ちの時には、暗いもので癒されるというのもありますが、誰だって、ネガティブ一辺倒では嫌ですものね。だからこの二つの曲は、長い歴史の中でもずっと残り続けたのでしょう。

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最後に、これらのような解釈が正解であるかどうかは分かりません。あくまでも自分自身が感じた感想的な意見にしかすぎないからです。皆さんは、この二つの曲それぞれをどのように感じますか?

結論は、何はともあれ、音楽、ピアノっておもしろいよね!ってことです。

 

これらのような、自分の好きな曲が弾けたら、どんなに楽しいことかと想像してしまいます。
音楽は聴くだけでも楽しいですが、好きな曲を自分で演奏できたら、曲には自身の生きた感情が吹き込まれるでしょう。これって凄いことだと思いませんか?

 

こんなことを長々と書いてしまって、自分でも小っ恥ずかしくなってしまいましたが(笑)、これからは芸術の秋というではありませんか。ぜひ皆さんも、大好きな曲をピアノで素敵に奏でてみてください♪

そして、これから初めてという方も、ぜひ!

 

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この文を書くにあたって、参考にした演奏は以下の通りです。

★愛の悲しみ(F・クライスラー作曲、セルゲイ・V・ラフマニノフ編曲)
演奏: ラフマニノフ自身による自演

★バルカローレ(舟歌、F・ショパン作曲)
演奏: リヒテル、ツィマーマン、アルゲリッチ他

 

しゅんぺいT
夏にポカリス◯ットの飲み過ぎで、2kg太りました 笑

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