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【メンバー日記】音の心と言の葉のつながり


メンバー日記

私には楽譜がこんなふうに見えます… もうすぐピアノを習い始めてから1年半が経とうとしています。大人になってから、楽譜も読めない状態で始めたので、初めは本当に必死、体が覚えるなんて芸当はできないので、とにかくすべてを努力で穴埋めしようと練習するばかり。それでもできるようにならないという悲しい日々です。

でも、ふとピアノって、語学を学ぶのに似ているなと思い当たりました。理解できるようになるのに時間がかかります。4分音符がメインの楽譜はまだいいのですが、16分音符でさらに3連符だったりしたひには、もはや読めない文字ばかりの本を渡されたような気分になります。まったく読み解けず、頭の中は「???」の嵐…。

あきらめないことって大事 英語の学習もそうでした。最初は当然読めないし、たとえ読めても、書いてあることがわけわからない。ましてや会話に至っては、3歳児ですら理解できることが、自分にはわからないという、非常に落ち込むところからスタート。

ずーっとわけがわからないという状態が続いていたのが、いつからかなんとなくわかるようになってくるのだから不思議なものです。


映画やドラマであれば、字幕の補助輪がある程度必要だったりはしますが、それでも仕事のことであれば、そんなに問題なく意志疎通ができたり、少しずつ前に進んでいく手ごたえがあります。

古今和歌集の序文、きれいな言葉で大好きです まだまだ私にとってピアノは未知の世界で、日本語どころか、英語ほども心が通じていない言語ですが、Benjamin E. Maysの言葉にある通り、たとえ手が届かなくても、届くようにと思いをはせて、少しずつ進むことが大切なのだなと思います。
ローマは一日にして成らず。ましてピアノ貯金をお持ちの子供のころから習っているみなさんと一緒に練習しているのですから、1歳半の自分ができないのは当たり前。それでも昨日弾けなかったところが弾けるようになればうれしいし、小さな一歩の喜びをかみしめるのが大事かなと自分に言い聞かせています(笑)。

いつか花開けますように ほかにも音楽と言語が似ているなと思うことがあります。それは心の温度や色彩とつながっていること。


「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をもなぐさむるは歌なり。」


大好きな古今和歌集の序文です。昔の人がその想いを和歌に託して詠んだように、いつか私も心を音に託して、素敵なメロディを奏でられるようになりたいです。

似顔絵Anna
弾けもしないのに気に入った曲の楽譜を手に入れては、自分は弾けないので、レッスンのときに先生に弾かせて弾いてもらっています…。

 


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