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【連載 おゆみの音楽エッセイ10】 鍵盤楽器の歴史と発展その3


メンバー日記

写真1の説明(鍵盤楽器の歴史と発展 その2から続く)
 ルネッサンス時代のオルガン
 ルネッサンス時代として考えられている15・16世紀になりますと、当時のオルガニストやオルガン製作者たちは、現代の音楽家たちが使用している楽器と基本的にほぼ同じものを製造するようになりました。
 板や棒の形をし非常に大型であった中世の鍵盤はだんだんとっ小さくなり、現代の形に近くなりました。音域は10鍵のものから3オクターヴ程度のものまで発展してきました。当時、オルガンの音域はコーラスの音域と同じである必要がありました。つまり当時の発声技法から考えると、この程度の音域で良かったと思われます。
 この時代にストップ(英)、レジスター(独)、ジュー(仏)などと称される、音色や音質を選択できるスイッチの性格を持つ装置が出現してきました。15世紀ごろの大オルガン製作者たちは、倍音関係に並列されているパイプ群から基音とその8度上の音を出すパイプをスライド板を用いて分離し、伴奏や独奏に使う工夫をしました。これがストップの始まりです。
 当時のストップは非常に大ざっぱに作られており、普通、プリンシバル(オルガンの最も重要な基音の意味)、オクターヴ(基音より完全8度上の音)、ミクスチュア(混合した音)に大別されていました。当時の(大オルガン)のパイプの並べ方は複雑でブロックヴェルクと呼ばれており、各音鍵のパイプの数や倍音のとり方が一定していないためにそれ以上の分離は不可能でした。今日のようなフィート律の明確なストップの分離は16世紀になってからで、むしろ《ポジティフ》の場合に判然と現れます。

写真2の説明 16世紀になると、ストップは、基音のプリンシバルの他に8度の音(オクターヴ)、15度の音(クゥインタデシマ)、22度の音(ヴィゲシマセクンダ)や19度の音(デシマノーナ)などの倍音ストップとミクスチュア、フルニチョールなどの複雑のパイプからなる倍音ストップが現れました。
 さらに、パイプを太くしてフルートの音色に近づけたフルートストップや、閉音のストップが考案され、さらに円錐形や弦の音色のストップまで使用されるようになりました。
 また低音を演奏する大型のパイプも製作され、オルガンの主部分と分離された特別なケースに納められた《トロンプ》と称されました。
 鍵盤の音域も次第に広まり、3オクターヴを超すものが出現し始めたり、低音専用の鍵盤や、足で演奏する足鍵盤も考案されました。同じストップを高音用と低音用に分離しようできるものも見うけ始めます。
 

写真3の説明 ルネッサンスのオルガンはヨーロッパ各地で独特な発展をしていったようです。 
 その中で大きな影響を与えていたのはイタリアの手鍵盤(マニュアル)が一つしかないオルガンで、ストップが高音の倍音まで完全に分離されているものです。高い倍音ストップを数個使用することでリピエノ《ミクスチュア》を構成できる、もっともコーラス効果のあるオルガンです。大型のものは大オルガンの性格を持ち、小型のものはもちろんポジティフです。
 カヴァツォーニ、アンドレア・ガブリエリと甥のジョバンニ・ガブリエリ、メルロ、ヴァレンラ、ディルーダ、フレスコバルティたちの作品は、このような一段鍵盤のオルガンのために書かれたもので、これらの作品はヨーロッパ一般に広く演奏されていました。プレッシアのアンテニャティは、この時代のオルガンについての貴重な記録を残しています。
 もう一つのルネサンスオルガンの典型として、二段鍵盤を備えた北欧のオルガンがあります。
 《大オルガン》と《ポジティフ》の二台のオルガンを使用して音楽を演奏することは、音楽の表現が豊かになるので、当時盛んに行われていたようです。この二台のオルガンを一人の演奏者によって演奏できるように工夫した楽器は、14世紀ごろから南ネーデルランド地方を中心に始まり、ヨーロッパ全体に広がっていきました。《大オルガン》の演奏台に組み込まれた《ポジティフ鍵盤》によって演奏できるのです。会衆席から見ますと、トリヒューン(楽廊)の手前の縁に設置された《ポジティフ》は、奥にある反響を持った《大オルガン》とは全く違った音色の音楽を聴かせてくれます。
 このような型のオルガンを、一般に《フランドール型》あるいは《ベルギー型》と称します。
 またイギリスでは《ダブルオルガン》として、《グレイトオルガン》と《チェアオルガン》のそれぞれを代表する二鍵盤備えていました。後者は《ポジティフ》のことで、オルガン演奏台の椅子に接続しているために《チェアオルガン》と呼ばれました。《チェアオルガン》は合唱の伴奏に多く使用されたために、後には《コワイアオルガン》と訛(なま)って発音されるようになり、ついにはこの方の呼び名が固有の名前のようになってしまいました。
 このような初期のネーデルランドの二段マニュアルのオルガンにおいては、《大オルガン》はブロックヴェルクのままでストップを持たず、ポジティフのみストップを持って音色の変化のできる楽器がありました。あとになると《大オルガン》も次第にストップを設けるようになりましたが、非常に大きなミクスチュア属のストップがあり、ブロックヴェルクの形が長い間続いて、ポリフォニー音楽に適した音色を鳴らしていました。

写真4の説明 ドイツで二段手鍵盤のオルガンを使うようになると、《大オルガン》即ち〈グロースヴェルク》はオルガン演奏の重要な部分を占めるので、《ハウプトヴェルク》と呼ばれるようになりました。演奏者の背面にあるポジティフは《リュックポジティフ》あるいは《リュックヴェルク》と特に名付けられます。これは《ポジティフ》が、ドイツにおいては色々な形に発展していったからです。
 もう一つの型の《ポジティフ》は大オルガンの基壇に設けられたもので、南ドイツで発達致しました。「胸の高さの型ポジティフ」意味で、《ブルストポジティフ》あるいは《ブルストヴェルク》と称されます。
 この構造は本来、《大オルガン》にあった小型のリードパイプのレガールなどを、特に音を目立たせるように下部に分離して独立させたものから始まり、のちにだんだんとポジティフの性質を持ったストップを増設していったものです。現存するインスブルック(オーストリア)の宮廷教会のオルガンは、この初期の《ブルストヴェルク》の形を持っています。
 その特徴は、独奏用の鍵盤が目的であったためにほかのヴェルクに比較して小型に作られたことです。初期の《ブルストヴェルク》より突き出すように作られ、音の特色を生かす工夫がされていました(ウィーンのフランシスカナ教会)。
 《リュックポジティフ》を持つオルガンは本来、北欧オルガンの特質を表している楽器であり、ネーデルランド、ドイツ、フランス、イギリスなどに多く見られます。《ブルストヴェルク》を備えたオルガンは南ドイツ、オーストリアなどに多くあり、のちにはこの両者を共用することが多くなっていきます。
 二段のマニュアルを使うルネッサンスのオルガン曲は多くの場合、当時のチェンバロのための作品と共通していました。そして民族音楽的な舞曲のリズムをオルガンに演奏させることも、当時から始まったようです。このような傾向の作品を書いたのはデュファイ、ブルーメル、ラッソ、コルネ、スヴェーリンクらのネーデルランドの作曲家が主流でした。ドイツではシュリックやホーフハイマー等が独特な性格を持つオルガン曲を書き始めています。
 この時代のオルガンの有様について、シュリュックは『音楽大全』第3巻の「オルガノグラフィア」に記録を残しています。
「鍵盤楽器の歴史と発展その4」に続く
 

似顔絵おゆみ
3歳でリトミックを含むソルフェージュを、5歳でクラシックバレエを、8歳でピアノを、9歳でトランペットを、その他は和声、対位法、作曲、指揮法、楽式論、西洋音楽史など、幅広く音楽を学ぶ。はじめはピアニストを目指していたが、諸事情により指揮者、作曲家、音楽学者へと進路変更する。40代で某音大の楽理科(音楽学)に進学するために勉強を再開する。来年の1月に師事している先生のところでの発表会に出演するために、ブラームスのラプソディ第2番ト短調を再度勉強中。専門は音楽学、音楽理論、西洋音楽史など。バリバリの理論女子。


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