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【連載 おゆみの音楽エッセイ9】 鍵盤楽器の歴史と発展その2


メンバー日記

写真1の説明 カトリック教会が西欧世界に大きな勢力を持っていた教会音楽について様々な研究があります。中世のキリスト教会の音楽は声楽が中心であり、器楽はほんのわずかなものであったようです。
オルガンについての資料も極めて少ないのですが、10,11,12世紀頃の教会には少しずつオルガンが設備されていったようです。ウィンチェスター、ミュンヘン、ランス等の大聖堂、さらにエアフルト、フェカン、リモージュ等の大修道院に、17から20の音鍵をもち、数100のパイプを備えたオルガンが存在していた記録があります。
 デュフルク教授によると、「これらの中世のオルガンの発達は4声部のポリフォニー音楽の発達と一致し、それほど広まっていたとは思えない」ということです。すなわち、大礼拝堂における合唱団の伴奏と、ヴェルセを合唱団とオルガンが交互に演奏することが、オルガン使用の最初の段階でした。また8世紀ごろから広まったオルガヌム唱法の補助として教会やその他の場所で使用され始めたのが、オルガン発達の背景です。
 さて、現代のオルガン音楽の歴史は、1300年頃(14世紀初頭)から始まるといってよいでしょう。普通、13・14世紀頃をゴシック、15・16世紀頃をルネッサンス、17・18世紀前半をバロック、19世紀から20世紀初めまでをロマンティックというように分類致しますが、フランス人は、14世紀から18世紀までの音楽をクラシックとし、フランス革命以後の音楽をロマンティックとしています。
 各地方の音楽がそれぞれ特有な発達をしてきたのと同じように、オルガンも各地方ごとに特色ある発達をしてきました。そして何種類かの楽器が生まれてきましたが、これらは普通、次の3種類に分類されます。
 
 

写真2の説明 ポルタティフ・オルガン
 「携帯用のオルガン」の意味です。肩から下げたり、膝の上に置いて左手で送風、右手で鍵盤を操作して演奏します。アコーディオンの仕組みと共通していますが、発展はそれぞれ別々に進化しています。
 中世以来盛んに使用された楽器で、リュートやクラヴィコードのように和声を演奏するのが目的で使用されていました。しかし、「オルガヌム」が発達した時代には2声または3声の演奏も行い、導入曲やモテットも演奏されていました。
 ポルタティフは礼拝堂の中でも市民の家の中でも演奏できるので、吟遊詩人の朗吟の中で非常に役立っていたようです。
 また大聖堂の玄関前で行われた中世の「聖劇」の音楽や教会の合唱団の入場行進に加わって、合唱の前奏や伴奏、或いは序奏などに重要な役割を果たしていたと考えられます。また世俗的な音楽演奏の仲間に加わって、舞曲などの賑やかな演奏にも使用されていたようです。
 しかしながらこのポルタティフは17世紀頃には姿を消してしまいました。この楽器の欠点として、壊れやすく、操作し難いところがあったからだと考えられます。
 ポジティフ・オルガン 
 演奏中に持ち運ぶことができない「置かれるオルガン」の意味です。
 前記のポルタティフに比較して規模が大きく、送風の役をする「ふいご」を動かす補助者が必要なオルガンです。テーブルや三脚台または小卓の上に置かれるように作られた<テーブルポジティフ>と、台座や脚を持った<脚付きポジティフ>の2種類が、10世紀頃から存在していました。ただし、ポルタティフに比較して大型の楽器であるポジティフは移動がそれほど容易ではなく、やがて万能の楽器としての性質をなくし始めました。
 このポジティフに似たものに「レガール」があります。本来はリード(笛)を鳴らす鍵盤楽器ですが、オルガンパイプを備えるようになってからはポジティフと区別がつかなくなりました。<テーブルポジティフ>はポジティフとの中でも小型のもので、市民の大きな広間や小さな礼拝堂に置かれたり、時には町の広場や劇場のオーケストラ席に持ち出され、市民らに愛用されました。世俗の楽器の様相を示して歌ったり踊ったりする音楽に使われることが多く、14世紀頃全盛をほこったオルガンでした。
 <脚付きポジティフ>は容易に動かすことができないので、設置された場所の目的に従った性格を持つようになります。貴族の広間に置かれたポジティフは、美しい装飾を持った大きな家具の形をして、貴婦人好みの音楽にふさわしい音を備えております。 
 教会のポジティフの大型のものは、美しいケースに収納されて、美術的に価値の高いものが多く見られます。
 
 
 

写真3の説明 13・14世紀頃から、今日「ゴシック建築」と称されている大聖堂が建築され始めました。この空間の広い大聖堂の中では、当時盛んに使用されていたポルタティフやポジティフではもはや十分には音楽上の表現ができ得ない、と音楽家や製作者たちは考えたものと思われます。すなわち、合唱団と交互に演奏したり、信徒たちの群れを誘導するためには、オルガンの音響をより力強く、変化に富ませる必要が生じてきたのです。
 多くのパイプを備え、大型のパイプも使用しなければならないために、パイプを支持している風箱は大型になり上段に上げられて、鍵盤との連絡には<ローラーボード>を含むアクションが工夫され、使用され始めます。
 この<大オルガン>はグラントルグ(フランス)、グレイトオルガン(イギリス)、グロースヴェルク(ドイツ)と呼ばれ、14世紀頃から欧州各地において発達し始めました。この時点が、現代のオルガンの歴史の始まりであると見てさしつかえないと思います。
 興味あることには、イタリアにおいてオルガンは、19世紀頃までのほとんどこの<大オルガン>のままの形で製作され続けており、この「大オルガンの鍵盤」しかない楽器が多く見られます。<大オルガン>は外から見ると、大きな基壇の上にパイプが並んでおり、基壇の前面に鍵盤が備えられています。
 13・14世紀のいわゆるゴシックオルガンの製作者たちは、<大オルガン>を一つの巨大なミクスチュア(音の混合)と考えていました。鍵盤の音鍵はそれぞれ20本から30本、あるいは40本のパイプを鳴らせ、各パイプはそれぞれの鍵の音に対して倍音関係の上音を構成していました。そして音質を充実させるために、基音と上音に複数のパイプを当てていました。高い音鍵の場合は、音のエネルギーを増加させるために70列から80列のパイプを持つものもありました。
 これに対して、<ポジティフ>は合唱団の演奏を支持する伴奏が主目的となるために、構造的にも音力的にも大型である必要はなく、鍵盤の各鍵は数本の倍音関係に並んだパイプを演奏していました。そして音質は可憐な美しさを持っています。
その3に続く。
 

写真4の説明

似顔絵おゆみ
3歳でリトミックを含むソルフェージュを、5歳でクラシックバレエを、8歳でピアノを、9歳でトランペットを、その他は和声、対位法、作曲、指揮法、楽式論、西洋音楽史など、幅広く音楽を学ぶ。はじめはピアニストを目指していたが、諸事情により指揮者、作曲家、音楽学者と進路変更する。40代で某音大の楽理科(音楽学)に進学したく勉強を再開する。10月に当サークルの演奏会で演奏する作品、ショパンのポロネーズ第1番嬰ハ短調を再度勉強中。


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